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高専から駅弁大学から東工大を経て大企業へ 浅く広い趣味とかキャリアの日記を

文化財の保存について

課題のこぴぺ

私は土木の人間なので,保存すべき文化財として,まず歴史的価値の高い橋梁を挙げたい.都心の湾岸地域をつないだ勝鬨橋や,富士山と東海道新幹線という日本近代の代表的景観の一部である富士川鉄橋などが挙げられる.また日本橋も挙げられる.これは最近大きな話題になっている.日本橋上の首都高が景観を損ねているというのだ.これを受け,首都高は大規模更新に併せ,当区間の地下化を決めた.しかし私は,これは適切でないと思う.首都高の多くは,1964の第一回東京五輪開催に併せ,急ピッチで建設された.そのため,用地買収の簡単な川沿いや,日本橋周辺は知られているように,跨ぐように作られた.この形態そのものが,日本の高度成長の歴史を示していると思う.確かに日本橋はそれ以前からも重要な歴史を残してはいる.しかし臭い物に蓋をするかのように,大金をかけて地下に隠すのは不適切だし,少なくとも経緯の流れを示すべきだと思う.

日本橋の高架 18/2/10筆者撮影
インフラに関しては,黒部第四ダムも挙げられるだろう.これは日本で古い大規模なもので,各種施工で当時最先端の工夫が凝らされ,一方で多くの死者も出た.ここでは,写真のようなビデオ紹介のほか,パネルや,当時使われた建設機材も置かれていた.個人的な感想になるが,非常に有意義だった.アクセスは難しいが,観光化も成功しており,好例と言えるだろう.

黒四ダム 9/9筆者撮影
また今はもう残っていないが,日本の工業の歴史や鉄道輸送の盛衰を代表し,アイストップや構造としても面白い旧余部橋梁も残すべきだったと思う.同様な歴史的な構造物として,碓氷第三橋梁も挙げられる.

信越線の史跡:碓氷第三橋梁とアプトの道 6/9筆者撮影
さらにこれが含まれるアプトの道も,文化的価値が高く文化財として残すべきである.最近は転売のために,レールの窃盗なども起こっているようで,保存のための精力的な活動が不可欠である.歩道は整備されているものの,野ざらしになっておりあまりいい状況とはいいがたいだろう.近くには碓氷鉄道文化むらという鉄道資料館があり,それとの一体の文化財保存が重要だろう.しかしここにも歴史的車両が保存されているが,野ざらしで錆びてしまっているものも多い.一体となった改善が急務である.ほかの鉄道も,近代の歴史として残すべきものが多い.社寺などに比べ,理解が少ないように感じる.上野駅の地下ホームは,かつて寝台特急をはじめ東日本の各方面へ特急列車が発車しており,交通での歴史的背景や人々の思い出といった点から,残す価値が高いだろう.東山手の路線周辺の構造物も貴重なものが多い.御茶ノ水の聖橋や新橋のガード下の飲み屋街などだ.

聖橋施工時の写真
11/23「東京 橋と土木展」にて筆者撮影

水道橋駅にて歴史的支承の残る柱
10/28日筆者撮影

女川にて津波で倒れたビル 14/3/22筆者撮影
ダークなものも挙げられる.まず災害関連の震災以降などだ.神戸の野島断層保存館では,断層を保存している.建造物ではなく異質にはなるかもしれないが,これも文化財足りえると思う.東日本大震災に関して,津波被害を受けて転倒などした建物や,福島第一原発周辺の荒廃した景観も保存しなければならないと思う.しかしこれらはまだ10年も経っておらず,トラウマなど住民への配慮が欠かせない.しかしこの度,特急ひたちも復活し,不謹慎だが,観光地としてのポテンシャルが高まったところもあるだろう.停車駅やツアーで振興するのも重要だろう.無関心にさせない,忘れさせないことがなにより重要だろう.
産業遺構として,公害関連も挙げられる.足尾銅山四大公害は最たるものだ.しかし自身の経験としては,そういった資料館はつまらなかった印象がある.そのため再訪のインセンティブははたらかない.それは平易すぎたからだと個人的には思う.これらには大抵,複雑な経緯があり,結果もごちゃごちゃになっている.それらを網羅的に整理し,またインターネットでは分からない,現地ならではの体験などを提供することが肝要だろう.また軍艦島も炭鉱の歴史として世界遺産にも登録され価値が非常に高い.最古RC団地として土木・建築的にも評価できる.しかし老朽化が非常に問題になっており,危険で近づけず,観光資源を生かせていないところもある.塩害もあり,維持には非常に手間がかかる.これをそのままにして,経時的なものを示す遺産としての価値もあるだろうが,今現在で切り取って保存した方がいいように感じる.そのために外観に大きな影響を与えないようにしつつ,補強する必要があるだろう.またただ景観を残すのではなく,やはり資料館のようなものも必要に思う.一方,軍艦島自体はそのままにして,向かう船内でアナウンスなどを行うという方針もアリだと思う.
戦争関連も挙げられる.Intrepid museumは,NYにあり第二次世界大戦で使われた空母をその名の通り博物館に転用している.面白く自分もぜひ行きたいと考えている.この点日本も.広島・長崎・沖縄はインバウンドの受けもいい.


おりづるタワーからの景色 7/16筆者撮影
しかしダークで固いものが多い印象にある.多様な観光を促すことも重要と考えられる.そこで面白い施策例としておりづるタワーがあった.これは原爆ドームの隣に最近建てられた12階立ての複合ビルである.下層は商業施設,中高層はオフィス空間で,屋上に展望台があり,原爆ドームを見下ろすことができる.昼間も心地よい風の吹くいい空間であるが,夜は季節限定でバーのような取り組みが行われている.音楽が流れさながらクラブのようなデートスポットとなり,原爆ドームのみならず広島の夜景を楽しめる.またソフト施策として,12階からおりづるを専用の枠に落とし,千羽鶴顔負けの鶴を設けようという企画が進行中でもある.こういった施策は,従来のやや意識を高い人以外を取り組む可能性があり,今後の動向に要注目だと思う.
またここからは観光の紹介のようになってしまうが,先日講義で舞鶴の西原地域が舟屋街で面白いものの活かされていないと聞き,ちょうど舞鶴に行く機会があったので,ついでに寄って体感してきた.ここでは典型的な過疎地域と港町を組み合わせたような街並みが見られた.住民は高齢化が進行し,にぎわいもなく,車社会だった.しかし新しい家屋もしばしば見られた.そのため若い世代もある程度定住していると推測される.実際,市街地は1㎞以内にあり十分生活が可能である.だが非常に古い家屋が放置される中,現代的などこにでもある新しい家屋がさながら玉石混合となっていた.これにより景観が破壊されつつある.文化財保護の観点からは,こうした古い空き家などをリノベし,若い世代に受け継いでもらう必要がある.また休日夕方に訪れた影響もあるだろうが,にぎわいがまったくなかった.漁船は多く停泊しており,漁業はまだ強く息づいていると予想される.そういったストックを生かして,レストランなどで持続可能性を探ることも重要だろう.

舞鶴西吉原の古い住宅と新しい住宅 7/13筆者撮影

またこの地域最寄りの西舞鶴の隣の東舞鶴を訪れた.そこは文化的な施設が多くある.最近世界記録遺産に登録された引き揚げ記念館や旧舞鶴鎮守府跡地の赤レンガパークなどだ.この赤レンガパークでは,ゲームのイベントに活用がされていた.これはゲームが戦争関連ということとも絡んでいる.これに際し,地元で捕れた海産物なども振舞われ地域の経済効果もある.著しく老朽化したものを除き,文化財をただ放置するのはもったいない側面がある.こうした活用が広がるのも面白いと思う.
さらに先述のおりづるタワーのように広島にも行った.厳島神社大鳥居は誰もが認める文化財であるが,以前鳥居の柱に5円玉をねじ込むことが問題となった.それを受けてか,現在は鳥居の周囲2mほどは立ち入り禁止となっていた.また鳥居の下部には布のようなものがまかれている様子も見られた.インバウンドの増加などもあり,観光がますます増進されるなか,観光公害とどう向き合っていくかは大きな課題である.厳島神社のように状況によっては文化財保護を第一とすることも重要だろう.

厳島神社大鳥居保存の様子 7/16筆者撮影

赤レンガパークでのゲームイベント 7/14筆者撮影

他にも,長浜大橋は,近くに松山の迎賓館とも呼ばれる建物や龍馬宿泊の宿もあった.錦帯橋は,岩国城と併せ公園も整備されていた.これらは橋メインでついでの見学となったが,公園をはじめとして複合的に整備すると,このように思わぬ発見という形でより効果的だと思う.また広島に話は戻るが,縮景園も原爆で甚大な被害を受けた.復元であるのは自明である.しかし風化されないためにパネルがあったりしたのはよかった.一方で縮景園という景色を売りにしたものでかつては宮島も望めたようだが,現在は高層ビルに囲まれ園内の景色しか楽しめなくなってしまっている.宮島までとはいかずとも,一定程度の高さ制限をすべきだったと思う.

末永家住宅のパネル 7/15筆者撮影

 

縮景園の看板 7/16筆者撮影

縮景園の景観 7/16筆者撮影

この講義のノート抜粋

武力紛争から文化財を守るシステム:ブルーシールドが世界遺産より先に作られる

文化財保護は個人の所有権を超越する

公共文化財:現在の人による未来に向けた価値判断で時代により変わるもの

京都が”全国の”古社寺を対象に保存とそのための資金補助を主張

この点は現在の日本と同様の主張をしており先進的だった

日清戦争の賠償金で赤坂離宮など建築

賠償金は大きな資金源で法律が多く通りナショナリズムとの関連も無視できない

明治から解体修理