はじめに
発端は別垢のTLに流れてきたこのツイート.
ぼくは90年台後半に高専で教育を受けた。高専は事実として人文教養を徹底的に軽視している教育機関。ぼくは「理系専門バカ」として社会人になった。それでは人間的にダメだと気付いたのは三十路のころ、経営者として経営危機で挫折し、再起する過程で。彼はいつ自身の無知に気付くだろうか。
— Hide Ishi 石橋秀仁 (@zerobase) November 22, 2019
高専とは
高専がどんなものかというのは,書こうと思いつつずっとできておらず申し訳ないのだが,下記あたりで察してもらえれば幸い.あるいは上記の彼のほかのツイートも参考になるかもしれない.
What's happen?
で,彼が何を言っているのかというと,教育方針が高専寄りに舵が切れらようとしている下記の記事などを批判している.
この辺りも参考にしつつ.
AIについて脱線
ちなみにこの人は非常に有名で以下の本などは読ませていただいたこともある.
ここでも以前に紹介したような気もするが,改めて(?)紹介しておくことにする.
入門書としてはいいのではないだろうか.
というかAI限らずテクノロジー関連の用語は”ばずわーど”なので,それぞれを理解しておくのは非常に重要かと思う.
私見
話が脱線したが,教育方針転換のような話だ.これは彼の意見に全面的に賛同できる.高専というのは,あくまで現場で高度に使える人間を効率的に排出することを目的に作られている.(あれ?高専の意義の説明が始まっている.構造全体の話の前提に必要なので仕方ないね.)
教育システム
そのため私のような(<-)高度人材を育てることは,想定されておらず副産物にすぎない.とはいえ,その受け皿として,科学技術大学が豊橋と長岡に,そして各専攻科(≒高専の大学院)が設けられてはいるが.
その特性上,グローバル化で競争が激しくなる中,そのような付け焼刃:高専を強化したところで到底太刀打ちできない.最近では国際競争力強化のための国際高専が金沢にでき,面白いとは思うが.
就活などを通じても求める人材は,ただの専門家ではなく,ジェネラリストあるいはT型人材である.しかも学校で習うことなど,現場では大抵役に立たないので,専門をそこまで深めるのも疑問だ.これが研究促進ならまだしも,ベンチャーキャピタルVCとかアクセラレートの話と絡んでいるのだからおかしな話だ.
彼も述べるように東大・京大・東工大などは教養教育にも力を入れているので,その点のポテンシャルは高い.しかし高専は単純に若く時間も専門に取られているので,はっきりいって卒業時のポテンシャルはたかがしれている.
進路
しかも優秀な人は目立つかもしれないが,そもそも多くは卒業時に就職しているのである.この辺りは偏差値にも表れている.こんなバカな学校に投資するなら,選りすぐりの進学校に投資した方がはるかにましだろう.この辺り個人的に私は冷ややかに見返している.もちろん尊敬できる素晴らしい方も多くいたのは事実だ.特に部活で話をする機会の多かった先輩には.しかし同期全体を見て思うのは”上澄み”だけだ.そして彼らは普通に上位国立大にいる.そこに投資すればいいだけの話ではないだろうか.
ちなみにおそれながら弊学の長も私と同じ穴の狢!!!そして同志!!!!!
ちなみに進学についても補記しておくと,高専が5年という教育システムな都合,卒業時に大学に入る際は,ほぼ3年次編入という扱いになる.競争が緩いため,合格はセンターの苛烈な競争に比べればしやすい.枠も少ないが,それに余りうる余裕がある.
学生
そして実際の上位国立大の肌間として,やはり周りの意識が違う.高専は一貫したプログラムをノートを見せ合いながらヒイヒイいいながら,からがら卒業していった人ばかりだったのに対し,上位国立大では当然のように自身のやりたいことに合わせたキャリアプランを描いている.計画的に休学して留学する者や,部活・コンペ・ベンチャーに勤しむ者など.単位に苦しむというのはあまり聞かない.
*院から入った都合,生存バイアスかもしれない点は注記しておく.
高専でもそういう気質がないことはないが,地方にあり親の所得も並みでいささか劣る.これは上位国立大に入る人らが,教育熱心で裕福な家庭に生まれた人が多いという悲しいが現実的な格差によるところもあると思うが.この格差は望ましくないかもしれないが,ここのところ日本社会はそのように歩んできており,投資するなら彼ら上位国立大の方がポテンシャルが高くなっているのだ.
高専はなんだかんだ言って大学というよりは高校的であるから,単位制度で生徒ではなく学生として扱っているものの,救い上げるシステムに実質的になっている.卵が先か鶏が先か分からないが,甘えられるシステムになっている.先進教育を行うにも,こんな環境でいいのだろうか.
先生
また教師の質もそもそも違う.高専は高校のような厳格な先生の基準がない.そこにリベラルアーツ教養の教育も含まれている.そのため変わった先生がいることもしばしばだ.大学のリベラルアーツ教育といえば,こうした人やポスドクなどもいるが人文系の研究をしているという場合も多い.
で,なんでこんなに教養を重視するのかと言えば,東工大の教育プログラムの一環で受講生の一員として気づかされたからだ.要は専攻を深めてもそれを社会に応用できなければ意味がなく,そのためのツールとして重要なのだ.また人間の深さのためにも必要だ.だから私は暇ができれば,弱点ともなっている人文知識を読書で補強したいとも思っている.
これはこの組織のトップで東工大OBの彼も述べていた.
まとめ
これが多くの人にはイキっているように思えるだろうが,上位国立大の肌間はそれを受容する雰囲気になっている.生きている環境が違うのだ.上記のOBの彼に至ってはMITまで行っているのだ.
案外,高専のシステムの紹介もしっかりしてしまったが,本質を見極めることは重要だ.まとめとして,考案者が考えていないとは言わないが,それなら強固な根拠・ビジョン・担保を見せていただきたいと思うばかりだ.
調べるとこんな記事も.
最後に蛇足になるが,高専の現場力は確かだと思うので,人手不足・労働人口減少の時代に需要は増加すると思う.そこで無秩序に拡大するのではなく,適切に役割分担していくのが必要ではないだろうか.
*11/25追記@東大最年少准教授
そんなこと言っている矢先,(どちらが先か知らんが,)東大最年少准教授さんが炎上しましたね.彼もすごいのは確かかもだが,教養としてはどうなんでしょう.構造的に同じような問題を抱えている気が強くします.彼は福島高専から筑波大を経て東大というキャリアだそう.風評被害わろたどんまい.知らんけど.<-
さらに,ちなみにこの人,上述の松尾教授の教え子で社会狭すぎワロタ.