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高専から駅弁大学から東工大を経て大企業へ 浅く広い趣味とかキャリアの日記を

計画理論:課題

これまでこうした哲学的な理論は,学んだことがなかったので興味深かった.初めは機械化による労働環境の変化による産業組織の変革が述べられている.これは情報社会への変革を辿る現在でも,同様のことが言えるだろう.大きな変革期の現在において,大企業が生き残るには,テクノロジーや社会の変化にアンテナを張り柔軟性を高めるべきだと,Clayton M. ChristensenはThe Innovator’s Dilemmaで述べた.そこでテクノロジーも考慮して,E-democracyの一種として以下に記す.

Derivative polling : DPは面白いと思った.確かに現在の民主主義の仕組みは妥協したシステムで古く保守的なものだ.政治では選挙が行われるものの,大抵は2極論が決まるにすぎない.支持率なども本質的な支持とは異なる懸念がある.周りの意見を聞いても純粋な自民党支持者より,他の野党に支持できるものがないとして,消去法のように支持するという意見が散見される.最近では閣僚から地方自治体まで汚職なども見られ,代表制の限界が垣間見える.しかもこれはトップダウン型の色が強い.理想としてはボトムアップ型だろうが,現実には世襲議員などのその道のプロが,リーダシップをもって各種に関係を持っている.そのため草の根のコミュニケーションは脆弱だ.

そこでDPは前途洋々だ.物理的な会議を前提にしたシステムとしては理想形だろう.しかし現在では全国がインターネットに繋がり,ビックデータサイエンスも発展している.そのため,そうしたテクノロジーによって,ブレイクスルーの可能性があり,DPは古いとも言えるだろう.

そこで数年前の台湾のひまわり革命は,先駆け的な存在だ.中国の強権的への反発デモ・アンチテーゼとして行われた.学生が主体となったが,その中で興味深いシステムが用いられた.この点については,Reinventing organizationsの著者のFrederic Laloux氏も,本学の講演で同様のことを述べた.ここでは既存システムでは,民意を正しく反映できないだろうとして,学生が主体となりインターネットを用いて民意の反映を目指した.人々が意見をインターネットに投げかけ,相互に評価するシステムを作り上げた.初めは意見が発散していたが,次第に評価を得るために戦略的に意見を述べるアカウントや,単純に求心力の強い意見などに集約化が進んだ.これは評価システムが組み込まれていたことが,うまく作用したと考えられる.こうして最終的にシステム上で,大まかな方針が定まった.ただ既存の制度上はこれを適用できないため,最終的にはこれを参照して,既存の議員らがまとめを行い反映した.今回はそのサポートシステムとして作用したことになる.Frederic氏はここで著書のティール組織(生態系)的な政治が生まれたと,これを高く評価した.ここではネットワークシステムを構築したメンバーも評価された.ITによって政治変革の兆しが見えたと言える.

DPは物理的制約もあって,代表制の部分は形を変えて残された.テクノロジーはこの課題の解決を提供している.ネットワークに意見を投げかけるフレームワークがあることで,マイノリティまで様々な意見が網羅される.さらにそこに評価システムがあることにより,ノイジーマイノリティは淘汰される.合意形成の難しい部分は残るが,民意の反映としては,より望ましい姿を提供できるだろう.集合行為ジレンマでの正当性をよりよい形で担保できる.ここで暴力と関連させた話は,大衆の反逆を想起させ面白い.現在は合意に頭を悩ませているが,確かに書かれているように正当性が担保されれば,個人の合意をとる必要性は低くなる.

さらにビックデータサイエンスが寄与できるだろう.ここでは専用のシステムを構成したが,Twitterなどでも各個人は政治的な意見や,行政に対する何気ない不満を投稿している.そうした意図をさらなるテクノロジーでくみ取れる可能性がある.

一方でこの手法は,情報弱者の扱いが短所だ.日本で適用するには,高齢者への配慮が必ず問題になる.その点DPが優れる.さらにインターネットを用いる以上,情報の錯そうや混乱の懸念もある.インターネット上では顔が見えないこともあり,ネトウヨに代表されるような二極化が激しい点への懸念もある.DPを用いつつ,そこに専門家を用意するといった方が,よりフォーマルで望ましい.そのため役割分担が肝要だろう.ひまわり革命と同様だ.このシステムは民意の反映の補助として使用し,最終的な決定は伝統的な議会によるのがいいだろう.ここでバイアスが取り除かれる可能性が言及されているのは興味深い.また評価システムのバランスにも注意が必要だ.評価のみに注力すると,ベンサムの最大多数の最大幸福が追求されるだろう.そのためマイノリティの意見も当然ながら注意が必要だ.

DPと同様のマインドとして,裁判員裁判がある.これも無作為に裁判員が選出される.行政面でのDP適用と言えるだろう.しかしこれも難しい,時間がないといった理由で,一部から敬遠されている.そのため行政・立法でも,類似したDPはそのまま導入できないだろう.そのためにもサポートするシステムpublic consultationとして,示したシステムの活路があると考えられる.そして現在の民主主義から進化を果たし,正当性がより強く担保されるようになるだろう.また効率的に二回路性デモクラシーともなる.DPは議題によって実施が繰り返される懸念もあるが,このシステムではそういった点はインターネット上で繰り返されることになるので,コスト面での心配は少ない.

主に政治観を中心に記してきたが,都市計画も同様だ.現在は説明会に参加者が少ないことから,ワークショップなどの参加型が流行りとなっている.しかしマスタープランに組み込むような大枠の話ではなく,経済合理性を重視した自身に身近な細かい事象がしばしば対象になり,その意義が問われている.参加者も任意や無作為など様々で,知識や関心の程度も異なる.参加型のまちづくりを真に行うには,上記のようなシステムにより市民の要求を正しく分析する必要がある.ワークショップ参加者は自己の利益だけでなく,代表として社会的役割を全うしてもらわなければならない.現在では漠然としてしまってできないが,システムはそのソリューション足りうる.またサイエンスコミュニケーションも必要だ.ワークショップを行うにも,行政や土木の技術や予算に関する知識が足らない現状ある.これを持った者がそれぞれいれば,より深い議論になるだろう.これにより自己内部化も深まる.

政治・都市計画ともに今後は予算が減少し,老朽化や高齢化でますますの困難が想定される.その中でこうした効率化と進化を両立した手法の確立が待たれる.

あまり関係ないけど以下個人的に興味深いリンク

PSYCHO-PASS サイコパス第1クールにて挙げられた哲学者まとめてみました -- ぐっさーの凡人的な日常

https://www.jbaudit.go.jp/koryu/study/mag/pdf/j41d01.pdf