公共施設の法人化について記す.具体的には病院と大学だ.いずれも公共的側面が強く,病院はその多くが,大学はすべてが法人化している.
特に大学については以前より法人化の失敗が叫ばれてきたが,コロナでさらに悪化しているように感じられる.また弊学,東工大の学長も書籍にて,意見を投じているのでこれらを勘案して記したい.
書籍については以下に示されている.書評はおこがましいので勧めるというスタンスを取りたい.
学長が書いているからこそ,東工大に勧められるほか,志望する高校生にも大学を深く知る一助となるだろう.
学費は適正か
最近,特に大学の財務のあり方への問題提起として,Twitterをはじめとして,学費とこれに対する教育サービスの質の低下を天秤にかけている場面が散見される.
大学生は、いつまで我慢をすればいいのでしょうか。
— maki (@D6Hy1q0FQJuxtPO) 2020年7月17日
#大学生の日常も大事だ pic.twitter.com/pxGW49nKdO
これは海外でも同様の潮流が見られる.単純に同様の環境として比較することは難しいが,リモート講義は世界的な潮流になっている.
— Christina Qi (@christinaqi) 2020年7月8日
大学の必要性?
ただこの問題を以前から投げかけていた人物もいる.ホリエモンだ.彼は大学の存在意義を半ば否定している.彼の実業家という成功キャリアもあってか,起業を積極的に行うべきという姿勢だ.仮に東大生のような優秀な学生であっても,全学生にアントレプレナーシップのセンスがあるとは思えず,極端な主張だとは思うが,大学の価値を問い直す点は部分的に共感できる.特に研究を行っていないような,いわゆるF欄とされるなんちゃって大学は淘汰されるべきだ.彼の自身のオンラインサロンにHIUとして「大学」をつけているのは皮肉にも思えるが.
中学の時に授業があまりにアホらしいので寝てるかマンガか岩波新書を読んでいたら、テストで学年最高を取ったのに成績で4をつけられたことがある。全校集会の時にその理由を説明せよと詰問したのに説明がなかったという事件以来、この国の教育システムは信用できないというのが僕の持論。
— 山口周 (@shu_yamaguchi) 2020年7月26日
法人化の弊害
そしてここにタイトルの法人化の弊害化が表れているように私は感じるのだ.結局の所,大学の維持が会社の経営に似てきている.特に私立大学はその側面が強い.これにより大学の財務の維持が苦しくなり,授業料の上昇として負担が現役学生に強いられている.学長は研究の質の低下や,特に基礎研究の軽視を憂いている.
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最近は上の記事が一面に上がるほどの話題になった.日本の一般社会はアカデミックをぶっちゃけ軽視しているように感じられるが,特許は産業,知財の基礎で重要だ.ここを中国に抑えられることは,今後ボディーブローのように経済に効いてくる可能性がある.この点,イギリスはそのリテラシーを高める努力が評価できた.
また病院と異なり大学は一律で法人になっている.天下の東大も,私の通う東工大も,かつて通った埼大も,名の知れない三流大学もその扱いは同様だ.その中でスーパーグローバル大学のような差別化の手法もあるが,付け焼き刃にすぎない.特にそこに満たない埼大のような中堅大学は苦境だし,この選択と集中といえるような策は基礎研究のあり方に反している.
ただ実際のところ,いわゆるF欄大学の存在意義は極めて怪しい.ここは適宜整理してもいいように思う.大学としてのレベルが低く,義務教育の復習のような講義があるとも聞く.その程度では到底研究どころではないだろう.大学の本質的な意義がないと考えられる.
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大学の存在意義,目的,価値
そこでその原因が重要だ.これはひとえに産業界の大卒信仰が原因だろう.かつての大卒は大学入学率も低く優秀だっただろうが,現在の陳腐化した大学群から優秀な人材を期待するのは酷だろう.そもそもF欄のような場合,お互いのロスが大きい.学生はモラトリアムで4年間を過ごすが,義務教育の復習をしつつ遊び呆け,人材的成長を見込むことは難しいだろう.であれば高卒で現場の経験を積むほうが得だ.さらに奨学金で顕在化する学費の問題もある.そもそも大学に行かなければ,重荷を背負った状態で社会参加することもない.
満足した豚学生
ここで大学に行かないと生涯賃金が伸び悩むとか,大学全入時代とか,そもそも高給な枠に高卒はないとか反論があるだろう.しかしこれは本質的な目を失っていると批判せざるを得ない.前述のように低いレベルの大学は成長に繋がらず意味がない.これを以て社会参画してもスキルがないのだから,初任給が高かろうとその伸びは期待できない.大学全入は盲目的だ.自身の行動の責任は自身に帰着する.これは人生の原則だ.さらに高卒でも高給な職はある.むしろAIが台頭してホワイトカラーが代替される中で,AIでの代替が難しいいわゆるブルーカラーへの注目が集まっている.それぞれの産業でも現場の多くは人手不足だ.人手不足とは需要と供給の関係より高給が期待できる.具体例を挙げるなら,建設現場のトビはキツイが1本も期待できる水準と言われる.
キリギリス企業
またこのような背景を通して,産業界も帰責されるべきだ.そもそも大学は産業訓練校ではなく研究機関だ.そのため大学生だからといって,社会で通用するスキルを育んでいるとは限らない.その点は別段,高卒と大差ない.ただ受験を勝ち抜いて頭がいい傾向にあるだけで,実際に皆が頭がいいとは限らない.こんなことは灰色のサイのように分かりきっていながら目を逸らしているだけに過ぎない.コロナや奨学金問題といった社会問題による顕在化の中で,いい加減目を覚ます必要があるだろう.むしろこうした悠長な姿勢は泥舟だ.
だからこそ入社の学歴による給与体系差別は撤廃すべきだし,終身雇用の解体とともに成果主義へ移行すべきだ.日本にそぐわないという意見もあるが,大きな成功事例がある.
見逃せないのは、リクルートの社員の多くが「会社はずっといる場所ではない」と考えていることだ。実際に同社で定年まで在籍した人は、60年に及ぶ歴史の中でわずか13人にすぎないという。
新型コロナ:[社説]コロナ禍に打ち勝つ企業の条件は (写真=共同) :日本経済新聞
脱線:大企業信仰を止めよ
さらに上記のアントレプレナーシップにも似るが,大企業信仰も止めなければならない.産業の新陳代謝として本来必要なスキームが,権力ゆえか起きない.極めて不自然だ.国内でぬくぬくしている産業は,今までそれで難を逃れられたかもしれないが,グローバル化も進む中でうまくいくとは限らない.東芝などは好例だ.
「資金が続く限り、雇用は守る」。7月29日、ANAホールディングス(HD)は2020年4~6月期の最終損益が1088億円の赤字となったと発表した。四半期決算として最悪の水準だ。発表後、社長の片野坂真哉は約4万5千人のグループ全社員にこんな異例のメッセージを送った。
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確かに人材は重要で特に自社育成のパイロットは何にも代えがたいだろう.ただこの状況下においてはいささか悠長に感じる.個人的には株価にもそれが表れている.その背景として,大企業はかつてのJALのように,危機では政府の補助が入ると期待しているのではないだろうか.ただ上記の記事では政投銀も寝耳に水と書かれている.個人的にいくら不確実な状況といえども二度目は許されるのかと思う.それに以前と異なりLCCも就航して,消費者の選択は担保される.生き残るならよりストイックさが求められる.少なくとも財務はそうしろと数字で圧をかけているように私には見える.
大企業も安泰ではない
大企業を見放した例は既にある.リーマンだ.詳細は以下の映画に詳しい.
作中,幹部は政府による補助に高をくくっていたが,結局そうはならなかった.長官が確固とした意志を持っていた.日本政府にここまでの胆力があるかは分からないが,これができれば日本は適切な新陳代謝を行える新しい時代を迎えられるだろう.
わたくしごととしては
大学の学費に話を戻して,翻って私自身の学生生活を振り返る.現状で年50万円余りの学費を大学に払っている.また自己判断・責任だが,決して裕福とも言えないので月5万の奨学金を借りている.経済的には苦しいと言わざるを得ない.ぶっちゃけ,私怨としては親の寵愛を以てぬくぬくしている人は許しがたいところもある.
ただ重要なのは50万円に見合うリターンを得られているかということだ.答えはイエスだ.でなければ退学が妥当だろうし,そもそも入学するべきでもないだろう.
まず幸いにも社会的評価の高い学校という点は無視できない.前述のような成果主義へのパラダイムシフトにより学歴社会は薄まるものの,その価値が完全に失われることはないだろう.特に直近では就活も有利に進められた側面がある.さらに同窓会や同期,研究室OBOGの人脈という見方もある.
上述のような表面的なもののほか,本質的な部分もある.高い水準の教育だ.これは日常の卒業要件単位はもちろんのこと,東工大生の特権的なセミナーなども当てはまる.このような経験を埼大のエスカレータで経験することは難しい.詳細は以下のタグに詳しい.また図書館の特権的利用も無視できない.
最後に最も重要な研究の密接な教育がある.M2として学会発表にも応募し,アカデミックとしての経験が磨かれる.これは独学では不可能だ.大学の最も重要な部分だ.また私学と比べ,教員一人あたりの学生数が少なく,いい意味で疎で内容が密な点も素晴らしい.
ぶっちゃけ現在は受ける講義はリモートのゼミのみで,学費の費用対効果が怪しいところではあるが,1年の間に大きすぎるリターンを絞り尽くした自覚がある.
講釈垂れる
前節で文句を垂れていたような学生らは,自身の学生生活を振り返る必要があるだろう.邪推になるが,彼らは一般的大学生として遊び呆けてきたのではないだろうか.そこで文句を言うのは甚だ筋違いだ.
確かに大学1年生は可哀想とは思うが,自覚があるならばこそ新たな試みを期したい.別段サークルで飲むようなことは,大学生でなくとも,SNSで界隈の友人を見つけるなどで代替できる.それに大学1年の内容であれば,多くは平易で独学でもカバーが効くだろう.ヨビノリはそのあたり美味しそうだ.ぶっちゃけ現状で苦しいようなら,4年間通い続けるのは難しいと思う.
How about 医療?
話が二転三転どころではなくなっているが,法人化をテーマにしていたので,医療分野に話題を移す.書きたいことを書きすぎた.
医療は大学と異なり一律の法人化ではない.ただそのせいか温度差がありそうだ.
4万円程度でPCRを自由にするクリニックが大儲けとのこと。まあやったら確実に儲かるでしょう。医者や感染症の専門家が検査の大幅拡大に反対する理由を、みんなもう少しまじめに考えたほうがいい。医者はその気になればボロ儲けできるのに、そうしないで反対しているのは職業的良心からにほかありません
— 室月淳Jun Murotsuki@集英社新書「出生前診断の現場から」 (@junmurot) 2020年8月1日
病院の法人化において収益を追求する構図は大学と同様だ.しかし大学の教育サービスが学生という特定の層に留まっているのに対し,医療サービスは万人が受けられる.そこで弱みにつけ込むようなビジネスが展開されているようだ.これは病院のあるべき公共的あり方に反する.コロナに対する安心を売る悪徳業者だ.
これはF欄のような低質な教育サービスと類似するが,法人化によってこうした暴走を止められなくなってしまったのは残念だ.
ツイートにあるような職業的良心を求めることは決して悪いことではない.ただ法人化に伴う収益,要はお金の問題が絡むとこの問題はより複雑になる.
制度としては悪用を前提にして,防止する構造が不可欠だった.それが本来の立法のあり方ではないだろうか.世の中性善説(誤用)では成り立たない.
病院や,診療所は大学に比べて小さな規模のものも多い.ゆえに暴走も起こりやすい環境だったのだろう.
まとめ
法人化は財務省の失敗だったと思う.公共性を考慮して戻すべきだろう.ただ無駄があるのも確かなので,吟味して適切な規模に戻すべきだろう.特に都心は大学,病院ともに飽和気味なのに対し,地方は不足しているように感じられるので,地方創生の一手も兼ねてやり直すのが理想か.
またそれぞれの利用者もリテラシーが求められるだろう.