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高専から駅弁大学から東工大を経て大企業へ 浅く広い趣味とかキャリアの日記を

情報密度

テキスト打つのが物理的にも精神的にも楽しいくて,案外細々ではあるもののコツコツ書き続けてきた.

テキスト量を細かくは見ていないものの,日記系なら概ね2000字,ゼミ資料だと10000字くらい書いていたのではないかと思う.

その一部で特にグラフィカルなものはごく簡単にYouTubeで動画化も試みた.

そうした発信者的視点からも,また多くの情報を受信する上でも,その情報の媒体によって情報密度が異なることを強く感じたので言語化しておく.

といってもこの視点はいつか見かけたツイートの受け売りだが.

 

要はテキストであれば情報密度が高いので,情報量を重視する層には動画が台頭する昨今においても依然として重要性が高い.

ここでいう情報密度は時間あたりの情報量で定義する.ただファイルの容量などでも同様だし,その差はさらに広がる印象もある.

これには様々な要因が考えられる.まず人間の感覚器官や脳の特性があるか.黙読は能動的にすらすらと読み進められるが,動画は受動的な媒体で低速に固定化される.だからこそ動画の10秒スキップが重宝されるとも考えられる.

最近は動画でも「あー」.「えー」といったフィラーを除く動きや倍速化も見られる.ただ人間の根本的な構造による限界もありそうだ.そういった動画はテンポがいいので聞き心地には改善が見られるが,受動的な限界とてのイライラを感じることも多い.

 

さらに動画でも差がある.上述のような編集済みの動画とライブに代表される無編集だ.加えてテレビとYouTubeの違いも大きい.これはYouTubeのノウハウ系の記事にもしばしば書かれるような話だ.しかし意識してみると,テレビ,特にバラエティの引き伸ばし感はひどい.動画が一般に浸透しネイティブになればなるほど,エンタメを求める層はテレビから離れる公算が高いのではないかと感じる.

 

また全体の一覧性も挙げられる.テキストはひと目で書いてある内容が概ねつかめるので,探している部分を見つけやすい.しかし動画はそこが弱い.切り抜きの台頭もそうした背景が考えられる.

今後,講演などが動画アーカイブでより保存されることを想定してみても,そのありがたみは感じないだろう.そうしたものはメモとしてテキストベースでまとめられることに価値がある.

 

するとこのブログや多くの書籍の将来性や価値も好意的に捉えられる.逆の見方をすれば動画の改善点だ.あるいは今後,ポテンシャルを秘めた技術・ビジネス領域とも見れる.

個人的にもVtuberの切り抜き動画は助かるものの,発信者へ直接の利益が生じないことに葛藤があった.やや下世話な話になるが,Porn hubのシークバーにはユーザの注目度が可視化されている.YouTubeにもライブのコメント密度や再生の重みでこれが実現されれば,本人の長いアーカイブがより価値の高いものになりそうだ.