AOKI's copy&paste archive

高専から駅弁大学から東工大へ 浅く広い趣味とかキャリアの日記を

ロシア文学

サンクトペテルブルクはしばしば夢想的な舞台として描かれる:特にメインストリート

ピョートルにより欧州的都市として遷都される:ある意味京都?

町並みとしては軍港・運河が特徴的

美術館:バッキンガム宮殿・大英博物館に似ている印象

研究所の歴史もあり王立協会と同時期のフランスの機関を参考にロシアで設立された

 

コートの複数の表現:厳冬地:下級官僚のモノ悲しさを描く

鼻:都市生活の人間関係の希薄さ,難しさをやや不気味に描く

:現代東京の希薄さにも似る?:現代日本小説との比較も面白いかも知れない

管理社会

 

 

モスクワ:16世紀?:モスクワ宗教中心地へ:アジアモンゴル支配の反動

欧州と異なり宗教と国家が共生:非対立

ツァーリ

恐怖政治:強力なリーダーシップ:農奴・家父制

イハン雷帝の風刺的映画とスターリンの文化制限:遠近法の表現

 

ドストエフスキー罪と罰

雑知識人:ラスコーリニコフ:貴族との区別

超人思想と罪の意識

カラマーゾフの兄弟:ミステリー軸:普遍的にして現代風アレンジ

>大審問官:世俗的欲望の信仰の是非や神の存在を提起

異端:よろじえふ?:ラスプーチン

名前や顔つきの表現にトリックが見られる

シベリア送りされて,社会主義思想からキリスト教

 

トルストイ

留学で公開処刑を見たりで西欧文化を非人間的と批判

アンナ・カレーニナ:都会の偽と田舎の真を対比:戦争と平和でも類似

若い男女の不倫は社会的に受容されてた:封建制へのガス抜きとして

アンナの純愛の思い込みが批判される

>自然が文明に阻まれる

伏線とアフォリズム,(<->)異化が多用される

<シュクロフスキーは芸術的と評価

 

  

書評課題

 

 私は課題図書として,ウラジーミル・ナボコフ著,若島正訳の新潮文庫から出版されたロリータを選んだ.これを文学的構造と社会問題の2点から考察する.

 私が本作を読了して,まず思ったのは,著者ナボコフの聡明さだった.前提として彼はロシア出身でありながら,外国語の英語で執筆しているわけだが,加えて随所にフランス語の洒落た言い回しが散りばめられ,アナグラムによる言葉遊びを織り交ぜつつ(これは役者の腕にも感心した),プルーストや神話,芸術にも造詣が深い.さらに理系的要素として,身長や年齢,時間を綿密に組み立て,それを方程式の問題文のように描画するのも面白い.

本作の評価として,恋愛・ミステリー・ロードなどの様々な要素を含んでいる点が解説でも挙げられている.この構造が大きな評価,議論の対象になったことは疑うまでもない.逆に様々な文体が連なることで独自の面白さが生まれているのではないかと,私は考察した.1部では,少女へのハンバート自身の純粋な異常性癖の愛がある.2部からは展開が早く,アメリカを横断し直接的ではないものの官能的な逃避行的パートを経,ドロレスが逃げ出しいわば失恋のような状態になりつつリタが登場する.最後はドロレスに会いに行きつつ,そこにはかつての異常性癖というより父親としての愛,プラトニックさが優位にあるように感じられた.11章では通知書を通してドロレスの客観的評価が描かれながら,実際は愛の独占・隠蔽が目的なものの,過保護な親の一面が露出しているのも,人間の複数の要素を表しているようで面白い.

またハンバートとドロレスの関係性以外に着目すると,2部冒頭のアメリカ横断はまさしくロードノベル的だ.読んでいても長編のアメリカのドラマを観ているように錯覚した.著者はあとがきにおいて,アメリカとヨーロッパの風俗の本質が違わないと述べている.しかしこの雄大なロードノベル的描写は,戦後の偉大なアメリカの大地以外考えられない.車とモーテルという舞台設定が,秘密の逃避行と相性抜群なためだ.ここまでの大陸的パートは当時のアメリカと同じ順風満帆さを感じさせる.しかしドロレスを失ったハンバートは狂気に落ちていく.シンプルな手法だが,この緩急が作品の世界にさらに引き込む力を持っている.加えて被害妄想から全米旅行を振り返るのも,前章と対比的で面白い.しかし本作は狂いながらもハンバートの意外にも理性的な分析,論理性から,ミステリー性も確かに持ち合わせている.

対比的と言えば,1部22章の疾走感だ.それまではハンバートの内気さや無自覚で邪魔なシャーロットに辟易とするパートが続く.冒頭は官能的描写が多く,その進展に期待しても,ドロレスとは離れエッセンスが弱まり不快感が増す.しかし滑稽なご都合的展開によってシャーロットが死ぬと,状況は一気に好転し物語が加速する.カタルシスだ.ドロレスを迎えた車内でのシーンは,描写が省かれ会話に凝縮されテンポがいい.目は口ほどに物を言うとも言い,これ以外のシーンは鋭い観察眼とも読めるが,久しぶりの再開に興奮冷めやらぬ様子を示唆しているかもしれない.また2部13章の劇の脚本はハンバートを,20章のテニスで狡猾さを発揮できない描写はドロレスをそれぞれ皮肉していて面白いと思った.

この講義では文学の時代背景も踏まえた考察を多く扱った.そうした側面ではナンセン旅券は風刺的とも捉えられる.しかし本作ではそういった硬い社会体制よりも,文化的な社会問題の提起に比重が置かれていると感じた.ロリータの根幹的テーマである児童保護法的テーマはもちろんのこと,ビアズレー女学院の教育方針,「自由」が挙げられる.

教育方針とは,女学院が表向きには教養ではなくコミュニケーションを重視している点だ.おそらく時代背景として,先進国は平等な教育機会サービスの黎明期で,そこでは実践的なスキルが求められていたのだろう.今日の大学の在り方にも関連する.だが東工大リベラルアーツが重視されているように,短期的視点だけでは「深み」を得ることはできない.これは表向き(裏がある)な点やハンバートの心象から主張されている.

このロリータというタイトルを見た時に,まず思い浮かんだのは「ロリコン」だ.今日のジェンダーLGBTが代表的だが,少女性愛や他のマイノリティも存在する.ロリコンは日本のアニメオタクの差別用語として存在した.前半のハンバートのマイノリティとしての苦悩は,日陰のオタクと重なり,少女性愛をアニメオタクと読み替えられると思ったし,これは精神の自由の1つだろう.またハンバートが作中で何をしようが,限度はあるものの結局は著者の表現の自由で,これは今日の文化作品にも言える.あとがきの出版までの拘りは,模範的な信念を持ったクリエイターとして移る.しかし最近では児童ポルノ法の議論が白熱し,抑圧的雰囲気を感じる.このテーマは半世紀も前にナボコフが提示したのではと私は落胆する.

また前半はハンバートが性的消費――最近のテーマを借りれば性的搾取――しながらも,2部7章ではドロレスが自覚的に(これもまた自由意志)自身を明確に金銭的に売っている.それ以前でも交渉のカードとして自分自身を用いている.彼女を単純な被害者と見るか,狡猾な共犯者と見るかで本作の評価,ジェンダー観の議論は分かれる.またそうしたテーマを暗示しているようにも読めた.さらに複雑なのが保護者だ.ハンバートは,最後は理性的な父親像に近くなるが,旅程の不貞は社会的に許容できない.身寄りのない彼女は彼を頼らざるを得なかったが,受け入れるべき福祉施設のサービスの質を暗に非難しているとも見られる.一方で彼女は積極的な共犯者である節があった.すなわち児童の保護や自立のトレードオフも内包している.今日でも大人の定義は曖昧だ.日本の成人は結婚年齢や飲酒とギャップがある.ドロレスはIQが高く年齢の割に自我の形成は早熟だろう.子供は「私は大人」と主張する.それでも社会は児童の健全な成長を保障すべきだろう.今日に話を戻せば,売春もそうで前に述べた児童保護法的テーマにも回帰する.

 

 

で一連の講義でこうした考察は面白いのになあ,Youtuberとかコンテンツ化しないのかなとも思ったが,冷静に考えると学術的分野に近く難しそうだ.

一応,娯楽よりかは教育に近いアカデミア寄りなこんなチャンネルもあったりはするようだが.

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