最近Museum巡りがプチマイブームになっている.
そこで最近訪れたところを簡単にまとめる.
とはいえ2つだが.
企画展のチケットで巡れたのでついでに行った.
有名で名前を聞いたことがある大観の生々流転も,一部しか見えなくなってしまっていたものの見ることができた.
今までであればこうした解説は読み流していただろうが,先日学芸員の動画を見たこともあってか,その記述の工夫を汲み取るよう注意した.
これで美術館の面白さのベクトルの次元を増やせた印象がある.
個人的に以下の展示は常設展でも最も好きだったかもしれない.
版画でありながら色彩のグラデーションの表現が非常に豊かだ.
また彼の得意とする花鳥画というテーマが,陳腐だが普遍的に美しいもので好きだ.
あるいは先の学芸員の話にも出てくる話だが,額縁を比較するだけでも面白い.
その絵のテーマを勘案しバランスを取りながら,質素だったり派手だったり様々なものが使い分けられ,そこにも工夫が見られる.
北京もかつては街と特に空がこんなにもキレイだったのだとか.
あるいは戦争画というのも近代ならではだ.
この時期はプロパガンダも含まれるので,文化的価値判断は難しいものの興味深い.
他にも広島の原爆被災地を模して社会に啓蒙するかのような作品もあった.
アイアンドームもかっこよく芸術的な迎撃をするが,いずれ皮肉にした作品へと昇華されるかもしれない.
大観は重視されているようで,さらに栖鳳とも比較されていた.
大観は夕顔という作品が非常に好きだったのだが,撮影禁止だった.
以下は栖鳳の作品になるが,怠惰なうさぎと不満な猿の対比が面白い.
ここで思い出されるのはやはり
満足した豚よりも満足しない人間であるほうがよい
あるいはさらに時代の進んだ現代の表現も面白い.
図工にはこうした鑑賞の要素がなかったのが惜しいように思い出される.
また鉄五郎の作品もあり,解説を見るに現代へのアンチテーゼとしての表現のようだ.
欧州で印象派がうまれたように古典の保守的,写実主義と比べてみれば,ただの粗雑さとは異なる印象が抱ける.
絵画に比べればやや少ないものの,立体の芸術作品もあった.
ただこちらはより評価というか分析が難しい.
体系的な知識が未学習というのも大きいか.
国立近現代建築資料館も月末から安藤忠雄がトピックとなるべく足を止められない.
また最近知ったがぐるっとパスというのがあるらしい.
お次は目黒区美術館.
区民や勤務者なら割引が受けられるとこのこと.
東京に住むなら高いことは承知だが,目黒か文京が個人的にアツい.
住みやすそうで災害リスクも比較的低い印象だからだ.
東工大の学生時代なら,区内の学生として大きな割引が受けられただけにややタイミングが悪く惜しいが.
ここではかつて80年代にNYなど世界で展示された日本のかつての包装の企画展を保存し,定期的にリバイバル開催しているようだ.
逆輸入といった感じか.
日本の伝統的包装は上記の企画展でも好評だったようなので,それを現代のビジネスに蘇らせるのも面白いかもしれない.
もっともかつての包装技術を持った職人は絶滅してしまっただろうが.
以下がニアリーイコールなビジネスの成功事例.
NewsPicksにも取り上げられたのだとか.
来月にはセミナーもあるらしいので,せっかくなので遠隔参加する予定だ.
展示は材質を中心に分けられる.
現代の包装は無秩序とも言える段ボールとプラスチックの浪費だ.
ECはそれを小口輸送により助長してしまっている側面もある印象だ.
大量廃棄はSDGsの12条照らせば望ましくない.
であれば,過去に学んで自然材料を再び利用するのもいいかもしれない.
ただポリ袋を有料化するだけでなく,代替材料を探すアプローチとして.
どうしても価格競争力や耐久性が課題そうだが.
とはいえ現代にも生きる包装もあった.
薬味入れやポチ袋,ご祝儀袋などだ.
後者は伝統文化によってなんとか生きながらえている.
特にポチ袋はキャッシュレスにより徐々に押されていくか.
他の死んでしまった包装としては,食品,菓子が多かった.
ちなみに以下は類似すると思ったもので,ロンドン留学の際に友人が休日に訪れていた.
さらに関連するところとしては,現在使っているエスケープキーボードのPOM JELLYのキーキャップのパッケージングもよかった.
https://www.fumo-shop.com/escapekeyboard-pom-jelly-keycaps-rainbow-full.html
脱線したが写真が以下.
撮影は一部の領域のみ許可されていた.
古い30分ほどの動画もあった.
最後はお捻りのかつての包装.
言われてみれば日本のかつての芸能界にもチップ文化はあったわけだ.
しかしいつの間にかなくなってしまった.
リアルの世界で見ることはなくなってしまったが,現代にSC(SuperChat)やFANBOXなどとして復活を果たした.
ただかつての日本人の奥ゆかしさを感じるこの展示に感動した.
というのも結局は金を投げていることは,現在や海外と変わらないものの,紙に包むことでその行為をオブラートに”包み”隠し,お金のやや汚い印象が緩和されている.
これは受け手の気持ちを考えた包装だと,個人的には考察する.
昨今の投げ銭は赤スパに代表される金額至上主義にどうしてもなってしまっているが,あえてそこを隠した日本文化の復活の再輸入を考え直してもいいように思ったりした.
実際にスパチャはクリエイターの創作活動の大きな支えになりながらも,その直接的すぎる支援にタジタジになっている人も多く見受けられ,せっかくの経済活動にも心理的ロスが生じてしまっているようにも見えるからだ.