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高専から駅弁大学から東工大を経て大企業へ 浅く広い趣味とかキャリアの日記を

清澄白河界隈

10/5の日曜日はぐるっとパスの残存期間も残りわずかということで,東東京方面で消化してきた.

この日はモリモリなので前後半構成にして,前半はこの清澄白河,後半は両国:江戸博をまとめる.

 

 

清澄庭園

 

最近,庭園はご無沙汰気味だったが.

多くの美術館類が10時からなので,9時台に庭園で時間の効率化を図った.

朝から晴れて暑い日だった.

亀も多くいて,日向ぼっこは気持ちよさそう.

東京とは思えない環境で,トンボも多く飛んでいた.

下記はちょうど2者が同席しているところ.

 

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庭園らしからぬピクニックのしやすそうな広場も.

もっともそうした要素は隣接した公園の役目か.

 

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我ながらいい色味で撮れた一枚.

 

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東京都現代美術館

常設展

同じ清澄白河駅最寄りの現代美術館も.

駅からはやや遠め.最寄り出口がホームの端同士ということもあってか.

現代アートはかなり理解が難しいが,だからこそ向き合っていきたいとも思えたり.

 

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美術館でありながら全体的に写真の規制が緩いのは,個人的にはありがたい.

ただ目で見ずに写真を撮るだけの廻り方も嫌いなのでほどほどに.

というかそもそもの主題がデジタルチックだったり,映像であったりして写真撮影に向かない.

そうした媒体の変化も面白い点だとは思う.

 

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こんな日常的な材料を使ってしまうのもまた.

とはいえマイナーチェンジがあるから時代感を漂わせるのは意図的か.

 

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デジタル数値がそれぞれの速度でループする.

単純にそれだけならプログラミングでも実現できそうで,そうしたVRよろしく仮想化した(Virtualized)アートが今後は台頭するのだろうか.

であれば,NFTもさらに活況を呈するのだろうか.

 

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finders.me

 

ほかには東京五輪に合わせて,その期間の空間を感光,劣化?させたプロジェクトもあった.

ただそこで最も面白かったのは,失礼ながら,そのための留置された広告枠の隣がバニラ広告だったことだ.

 

言い忘れたが常設展ではコロナでの芸術家らの取り組みや感じたものが特集されていた.

この目録も凝っていてよかった.

 

コロナの不安感から,通常中身を不気味と捉えるトンネルを,逆に捉えて描画していたり.

あるいは人間がいなくなった都市,NYの荒廃を夢想し,もののけ姫よろしく野生動物の支配下を描画したり.

そこからホームレスの生き様に類似性を見出していたり.

 

コロナからはやや離れるが福島原発事故現場作業員がかつての作品に類似させ,視聴者との立場の逆転を感じさせる指差し長時間の映像があった.

そこに付属して震災直後の情報収集のネットサーフィンや動画のキャプチャーが流れる.

当時の古びたデザインのYouTubeやニコ生,2ちゃん,Twitterなどが,枠としてプラットフォームそれ自体に哀愁を漂わす.

もちろんその当時の中身の情報の価値は言わずもがなだ.

振り返ってみると,国家的危機に対し,”仮想的な”団結力も感じられるところだった.

 

現在は技術的進展もさらに進んだが,当時からの進歩はあまりないように何となく感じた.

これは瞬間的刹那的災害と長期的メリハリのない状況の違いもあるか.

そもそも2011年くらいまでのインターネットは,一般的な普及は微妙なところで,積極的に使うのはオタクが多い傾向があった.

現在ではLINEもあるし,完全に普及したが,だからこそインターネットの利用層や利用状況にもひどく変化が起こったためだろうと推察できる.

こう言うとインターネット老人・老害だが,しかしかつての雰囲気の心地よさを回顧せずにはいられない.

 

一見すると非常に現代的で何でもない感じだが,こうした奥深さを感じさせるのは,作者の感性の深みか.

案外,美術品にするための材料は日常的なもので,PCとキャプチャーソフトくらいだ.

しかしそれでもこう思わせるセンスと,そこで記録をしようと思った突発的思考のセンスには脱帽する.

現在も意外と身近ながらやや革新的技術が機会になりうるかもしれない.

このあたりは芸術の根本原理に立ち返ってよろしくアイデア次第か.

 

あるいは写真のネガを緩和的に感光・現像するような手法も紹介されていた.

こうなると写真の定義はどこまでかと考えさせられる.

この作品は普通の写真と比べれば,エッジが揺らぎ曖昧さが増している.

とはいえ現実の一瞬を撮影したのは確かだし,写真がそもそも完全に厳密とは言い切れない.

画質が低くとも写真は写真だし,長時間露光で現実にない景色も撮れる.

そういう面白さも問題提起しているかもしれないというのは考えすぎだろうか.

 

また写真と言えば脱線になるが,先日MINAMATAの映画もみた.

まあ感想は長くなるかもなので,別途記載か.

 

2階は粘土を中心とした立体造形に多く面積が割かれていた.

これはより難解だ.

最も難解だったのは仕切り的な役割であろう壁に,ゴミ袋に使うようなペラペラのビニルが張られていたことだ.

類似するものとして梱包されたままの展示もあったが,作業途中的な瞬間を切り取るようなこの哲学は何だろう.

こればっかりは考察のさじを投げさせていただく.

 

 

またちょうど絵画論を読んでいて,なんか心的に一丁前になっていたかもしれない.

 

特別展

 

特別展は横尾忠則氏とアニュアルのもの.

振り返ればコスパ重視で特別展はパスでもよかった.

ぐるっとパス的にはそれが最もおいしい.

 

前者は派手すぎるし,高かったのでアニュアルだけ買った.

「海.リビングルーム,頭蓋骨」というキャッチコピーにも惹かれ.

下記は前者を盛り上げるショップの様子.

 

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このアニュアルは映像が中心だったが,常設展以上に抽象度が高く全体的によく分からなかった.

良くも悪くも現代アートらしい.

解説を読めば何となく意図して伝えたいことは分かる.

海の匿名性や南米の内戦など.

そしてそれらの多くは映像表現され,映画鑑賞料金と考えれば,値段も妥当,むしろ安いくらいだ.

ただ本質的な人類課題が主題であり難しくハイカロリーだ.

そうした覚悟があれば,あるいは非常に魅力的な展示たちだろう.

 

ランチ

 

最後にランチを付記して終わる.

飲み物はバラエティ豊かで,これは確かベリー系が入った紅茶.

そういえばたまたまだろうがいい席をもらえた.

 

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前菜プレートは大変豪華な見た目.

フレンチ系はソースをどうすべきなのかが難しい.

 

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所定のランチセットからは追加料金ありで4種選べて,私は白身魚のパン粉付きの香草焼きのようなものを注文.

ここのところ家では魚が多く肉を頼みたいタイミングではあったが,なんだかんだ魚介系の方が蛋白で落ち着いていて好きなのと,香草に弱く,効果抜群4倍弱点で即決.

最初は魚が案外小ぶりに見えたが,パン粉付きなこともあってか満腹.

付け合せの焼き野菜も甘くなっていて大変美味.

ソースはニンニクやオリーブオイルなどからとのことで黄金比

 

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食後はセットのコーヒーとチーズケーキ.

これで3000円くらい.まあそんなものかな.

メニューもおしゃれで,特に最後のラムをかけるティラミスも気になったが,これ以上食べるのも奇特かと思い退散.

ぜひとも再訪したい.

 

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