依然としてぐるっとパスネタ.
有効期限2ヶ月のこれは,今日にはもう失効してしまっているけど,訪れた施設の感想をまとめきれずに保留にしつくしてしまっている.
そのためこの土日を使ったりして振り返りつつ.
本記事では関東近郊の千葉と埼玉をまとめる.
ちなみに横浜は下記.
千葉市美術館
企画展:前川千帆展
会期は既に終了.
版画と漫画が主.
実際の訪問順は執筆順と逆になるが,以下の諸星大二郎同様に漫画の歴史を作ってきた1人と言える.
総合的にマチエールとして,木彫りを介する中で抽象度を高めつつも,エッジが際立つ力を効果的に使っている印象だった.
特に後年は,近代化に伴う都市景観の変化の影響もあってか,自然の風景画から人工構造物の工場や電柱といった鉄とコンクリートの要素が強まる中,上述の要素がうまく際立たされる.
またこれは名古屋城の作品にも強く感じ,多くの要素が矩形からなる構造物として,効果的に用いられ,また写実性が高まりつつも,城としての権威も間接的に際立つように見えた.
一方で人物画も多く,これは特に晩年に多かったか.
しかしそこではエッジが抑えられているのは妙技か.
主題として女性が多く,その輪郭も曲線になっている違いが表れたものか.
ただし作品によって人物の表現は多様で,主題でない一要素の場合は,版画としてディティールの表現が難しい都合か,かなり簡易的に書かれている場合も見られた.
さらに実際の完成作品と,制作過程におけるスケッチの比較もあった.
これによれば,完全に写実的にするのみならず,スケッチにはなかった要素を足し引きする様子も見られた.
解説に依れば,ここに心境の変化も見いだされれるとか.
上述の人物画は漫画の作品にも相互に影響を与えた.
個人的な驚きとしては,昔の新聞掲載の漫画でありながら,その色彩表現が豊かなことだ.
刷れる色の都合もあってか,かなり原色的な表現にはなっているが,その色味自体がまず非常に明るい.
そうした背景もある中,筆者の作品も心情的豊かさがあった.
勝手に戦前はモノクロの生活と決めつけたいただけに意外性があった.
そういえば当時のファッションに関する考察とかからも,案外昔もカラフルでハイカラであったと言われたりしていた.
また現代アーティストとの類似性を感じさせる芸術クリエイター活動の一片も見られた.同人活動的な.クラファン的な.
自身の作品を500程度の限定として販売していたようだ.
やはり何かと金もかかるし,このあたりは難しいところか.
最後に興味深いものとしては,彼が作った占い用の冊子が実際に触れられるようになっていた.
ただしコロナに配慮してビニル手袋越しとなる.
確かにカメラやディスプレイ技術の向上により,単純に作品を見るだけなら,博物館や美術館の必要性は極めて低くなってしまうのも実情だ.
最近ではVR技術の進展も著しい.
そこで下記のように,体験型としてモノだけでなく,コトとしての消費体験もまた,文化施設にもまた同様に求むるるところとなるか.
「触る」文化の豊かさを探る 国立民族学博物館で展覧会: 日本経済新聞
企画展:おまけ:江戸絵画と笑おう
企画展のスペースの一部で上記のテーマも.
笑いというテーマもあってか,文化的な日常を切り取った錦絵が多くあった.
時期的に高輪築堤の開業時の作品も.
鼠の嫁入りという作品は,赤と緑の対比の印象が強い錦絵というカテゴリでも異色に見えるピンクベースのかわいい色味と華やかさで,個人的に好みだった.
擬人化ならぬ擬動物化の江戸時代の作者のセンスも面白い.
あるいはかのドラッカーも禅に関する絵を収集していたのだとか.
常設展
以下の写真からも分かるだろうが,常設展はジャンル豊かだった.
また展示替えも比較的頻繁に行われているそうな.
具体的には屏風の日本画や江戸時代の版画,西洋画にモダンなアートも.
現代系は撮影禁止だった.
特に後者は不思議な作品で難解だったが,海面,湖面,砂漠,霧のような何かだった.
建築
また建築的にも素晴らしかった.
西洋風の造り.
千葉市内を散策するのも初めてだったが,やはりモノレールの作る景観というところに面白さがある.
埼玉県立近代美術館:美男におわす
こちらは近所.
表題に示した通り美男がテーマ.
確かに美人画として,女性を主題にしたものは,国内外問わず人類普遍の日の追求だろうが,一転男性に関してはほとんど見られない.
リベラルな時代でそうした傾向も感じられる文化施設の取り組みとして興味深い.
この点は企画者も気づいていた配慮していたのか,特に最終章の第5章『わたしの「美男」、あなたの「美男」』では,参加者の好みに合わないものも多くあるであろうことを解説で勧告している.
ただやはり古典にはあまり見られないようだ.
書かれるものは浮世絵の若衆のいわば男娼だが,文化的にこれらが検閲されてしまった可能性は高そうにも思える.
実際に江戸時代も女歌舞伎の禁止から若衆歌舞伎に移ったものも,結局はこれも禁止されてしまい野郎歌舞伎へ展開していったらしい.
またいわゆるおねショタは案外歴史的な文化かもしれない.
そう思わせるものもあった.
まあ構造的に扱いやすく面白く,読者の興味を強く誘ったか.
あるいは主題としては,義経はそうした儚さが歴史として形成されている.
もちろん後学から尾ひれがついた疑念は強いが.
そもそもやはり男性像としては,やはり力強さが求められていたところが強くあるだろう.
これは根強い日本男児的価値観とも合致する.
特に武家社会などでは,この価値観は強化されていた可能性も高そうだ.
もちろんそうした猛々しい戦う様子も注目されている.
そうした意味で平和の期間はやはり文化的なターニングポイントだろう.
平安時代はしばしば引き合いに出される.
江戸時代,明治維新,大正デモクラシー,80年代からのサブカルチャーは,本展でもフォーカスされている.
特に最後は面白い.
まず埼玉贔屓だろうか,翔んで埼玉がある.
同作者の色っぽく若干エロめなBLっぽいものも併置される.
また聖闘士星矢や下記のようなごく最近の作品があるのも,かっちりめの美術展にしては珍しいが,展示の多様という点で面白い.
サブカルとしての歴史も忘れてはおらず,BL黎明期を作った雑誌JUNEのいくつかも.
大正デモクラシーも文化的表現で政治的闘争を試みた側面は興味深い.
類似するところか,こうした表現は乱歩や三島にも影響を与えたところがあったとか.
こうした文化の有機的な総合関係のネットワークも非常に興味深い.
個展的な?
地下はこの企画展とは別にごく短期間の展示をやっていた.
芸術系サークルの表現機会といった感じだった.
思い出されるのは,小・中学校等児童生徒美術展だ.
特筆した美術センスは持ち合わせていなかったか,なぜかしばしば入選していた.
身を振り返れば,年齢を重ねるごとにこうした創造性は失われいくのが嘆かわしい.
高専時代の暇に超高性能PCを持っていたならば,今頃趣味の幅はもっと広がっていただろう.
具体的には付鴻雁やアマチュア写真があった.
前者は多芸さが十分に感じられるが,特に蓮の表現にこだわりがあるようだった.
後者は風景写真ばかりで確かに美しくはあるが正直退屈だった.
しかしその中でも多重写真技法を用いたものはオリジナリティもあり,初めて見るようなもので惹かれた.