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高専から駅弁大学から東工大を経て大企業へ 浅く広い趣味とかキャリアの日記を

Vermeer

表題のとおりフェルメール展について。

 

www.tobikan.jp

 

 

東京都美術館ゴッホ展でも行ったので、割りと近い再訪だった。

隣のコルビュジェ建築の国立西洋美術館も改修工事がほぼ完了して、早速企画展も告知されておりこちらも楽しみだ。

 

nature2022.jp

 

手紙を読む女

今回の展示内容について、復習的に補記的に以下に動画リンクを貼っておく。

 

youtu.be

 

山田五郎氏は今回の改修に関して明確に否定的なようだ。

ここは個人の分かれるところでもあるし、美術界隈のお偉方の意向は窺い知れないが、改修に否定的であろうと規則ですからということもありうるだろうか。

 

展示では目玉の本作は中盤にあったが、やはり主題から感想を述べようか。

個人的にも一枚の絵としては、塗りつぶされている方が好きだ。

 

ただキューピットの存在が明らかになっていたことに関しては興味深い。

今、これが完全に物理的にも暴露されたことで、絵の中の主題としてのメッセージ性や寓意性が一層強まっている。

しかしこれが些か主張が激しすぎて、すなわち露骨すぎて微妙だ。

 

動画中で山田氏も述べているが、日本人は侘び寂びを重んじる。

ノンポリ民族には風俗画や風景画のような宗教性が弱いもののほうが親和性も高い。

また特に現代人はややこしく解釈性が悪いものほど評価される傾向もあるように思う。

文脈が若干異なるものの、現代美術もその延長だと、私は考えている。

 

こうした態度に対し、今回の改修は真っ向から対立してしまう。

 

さらに展示方法等も残念だった。

人気作品ということもあり、非常に混雑しているのだ。

昔の改修前の複製もあるが、そちらは人も疎らで、そうした鑑賞環境的な面でも、改修前の方が好印象だった。

 

とはいえ、上記の感想は後の一時代の一地方の、ひいては一個人の感想にすぎない。

そんなものよりは作者の意図が尊重されるのは当然である。

むしろこの経緯により、本作へさらなる注目度が上がったとも言える。

 

脱線するが日本の美術館は混み過ぎで、椅子も少なく回遊性も低いので、しばらくしたら西洋系で海外美術館に再訪したいものだ。

この趣味の源泉は、ロンドンにある。

 

最後に本作の独自の解釈を残す。

技術的な面ではレンズを通したともされるが、それもあってか案外ピントがボケている。

同時代の写実派は写真に引けを取らない再現性を持っていたことは、本作の前の本展で確認できる。

ともすれば、印象派の先駆けとも見れるかとも感じた。

 

心理的な印象においては、まず手紙を読む位置、構図として眼前の開かれた窓が、前途洋々な未来を示唆している。

洋々は大航海時代的なニュアンスも込めた。

あるいは室内の描写に留めることで、鑑賞者の解釈性、議論の余地が担保されている。

これは類似する作家等にも言えることだ。

だからこそ、同時代にこうした構図がブームになった、当時の人たちの趣味嗜好の淘汰圧の結果とも言えそうだ。

 

最後の最後に改修前に関しては、彼女の後方の光の具合から、彼女自身に見えざる羽があるような印象に捉えられないこともないかとも感じられる。

 

 

その他の展示

話の流れでフェルメールから行くと、本作のほか、修復過程の30秒程度の動画が複数あったりしたのは、硬派な美術館展示としては珍しく感じられた。

 

また本作のほか、本展のオリジナルに対する、200年後以降の印刷も紹介されていた。

 

pytho.hatenablog.com

 

印刷に関しては、素人ながらも若干前提知識があったので、そのあたりも印象を比較できた。

同じ対象でも技法や作者により、かなり細部は異なる。

 

今回は目玉がフェルメールなものの、一点しかないこともあり、多くは主題のとおりオランダ絵画だ。

実力派な写実派が揃っている。

 

これらを全体的に見ていて思ったのは、主題を引き立たせるためか黒背景が非常に多い。

現在、履歴書の写真等で、顔に明るい印象を持たせるために白や水色の背景が好まれるのとは非常に対照的だ。

あるいは黒で権威さや厳粛さを表現したかったのかもしれない。

 

写実派の表現力は、現在の手軽に写真がとれる社会との類似性も感じられる。

もっともかかる時間やコストは異なるものの、それ以前に比べ瞬間を切り取る革命的手段が登場したことは一致している。

そうした社会環境の中での文化の進化として、トローニー、寓意性の表現が生まれた。

現在でもSNSのバズのため、実力派の写真家として、様々な要因で、簡単な写真のほかに、強いメッセージ性を持たせた表現を試みる取り組みは散見される。

 

こうした人間の飽くなき想像性が、アンチテーゼの萌芽として後の印象派につながっていったのだろう。

 

細かい点でいえば、寓意性の延長として、取り上げたテーマにも過去以上の意味があるかもしれない。

例えば出産を描いたものとか、その他女性の室内の風俗画が多い中で。

 

また寓意性と類似するが、写実性が高まったからこそ、非現実性が際立つものもある。

現実の光の具合を敢えて無視して、強調したい対象が明らかに不自然に明るくなっている。

あからさまだが、あからさますぎるわけでもなく、それでいてわかりやすい。

 

さらに細かな点では、サテンの反射するサラサラシャカシャカな質感がキレイに表現されている。

同様に令嬢と対照でメイドの質素さも表現力の高まりに比例して際立つ。

 

ほかにも個別でいくつかコメントもあるが、長くなったし割愛してしまう。

最後に背景の風車がオランダを感じさせられた。

自転車大国。行ってみたいものだ。

 

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