今回はある意味で会社の愚痴のようになってしまうことを予め断り,自身でも整理しておく.
というのも社内のサービス企画で,それ以外の社外でも往々にしてあるだろうが,あまりに溢れありきたりになり陳腐に思えてしまうからだ.
とはいえ教育そのものの思想は崇高だと思う.
ただ方法をはき違えがちなのがひどく気がかりだ.
では第一に学校の役割とは何だろうか.
私が思うに,武器そのものではなく,武器の使い方を教えるような場だと思う.
すなわち短絡的で直接的な知識ではなく,汎用的な能力としての論理的思考力などを養うべきだ.
税金や投資,株に関する知識やリテラシーはもちろん重要である.しかし根本的な思考力が土台になることは間違いない.でなければマーケットに立っても,多くはサムゼロゲームだから,むしり取られてしまうだろう.
ゆえにプリミティブで継続的な以下のような科目が脈々と引き継がれている.
これらは決して悪しきレガシーには思えない.
- 算数
- 自然科学:理科
- 言語:国語・英語
- 社会:地理・金融・歴史:繰り返さないために
しかしこうした歴史的な積み重ねのノウハウがありつつも,これが形骸化し形式至上主義,いわば本質の毀損になってしまっている感も,今日では否めない.
プログラミング言語は流行として義務教育課程にも含まれたが,まずはインターネットの利用法やそのリテラシーが何よりも重要だろう.
本格的なプログラミングにおいても,デバックでは検索が最重要とも言えるから.
あるいは家庭科で既存のジェンダー観に囚われず,男児も家事手伝いのエッセンスを取り込めると,より実践的に思えるだろうという細かい改善点は散見されるのも事実だ.
私は教員免許も持っていないこの分野の門外漢なので,的外れな発言や指摘もあるだろう.
ただ今日の修正や議論の方向性がちぐはぐに思えてならない.
これは社内の企画検討でも,文科省の方針でも言える.
このあたりは最近読んだ書籍での「メリトクラシーの再帰性」という概念が非常に腑に落ちた.
ここまでは書籍の付け焼刃の知識も含め,普遍的な指摘をなぞった.
ここからは社内でより感じた違和感を紹介する.
というのも彼らは日本の市場を見切れていな印象がある.
自身の経験や交流範囲でしかモノを見れていないように見えるのだ.
さて現在の日本の大学の進学率はどの程度だろうか?
大学全入時代であるから8割は超えているのだろうか?
大学を卒業すれば,東京の本社でキラキラ働けるのだろうか?
これらはすべて反語だ.
新卒同期の彼らがつい昨年まで大学生だから,そこをターゲットにしたいのだろうか?
しかしその排他性はひどい自縄自縛だ.
そもそものパイが小さい上,金払いも厳しい.
社会人になる前の囲い込みとしての戦略ならともかく,ただサービスを提供する対象としてのうまみは薄すぎる.
しかも彼らにサービスを提供するよりも,大学に通えているような比較的安定した層よりも救うべき層が多いのも問題だ.
ことさら教育という観点において.
大学内や大学間の学習機会の提供は教育格差の拡大の寄与が大きい.
リカレント教育が重視され,同様の内容,特に望んでも届かない層へのアプローチの重要性がSDGsにも書かれている.
それはニュアンスとしては貧しい国の子供を筆頭に,ジェンダー格差の大きかった世代の女性や,個人の事情でしかるべき時期に大学に入りそびれた社会人や,単純に学びなおしたいけど時間や金銭に余裕のないブルーカラーかもしれない.
ただ上記の人は機会的に弱者にカテゴライズされるだろう.
少なくとも現役の大学生に比べれば.もちろんその中にも苦学生もいるとはいえ.
そうした背景において,教育を事業化していくなら,こうした弱者を救える形こそ,理想論的ではあるが,理想論だからこそ必要だろう.
株主至上主義や利益至上主義も弱まる昨今でもあるので.
あるいは代替的には統計学の重要性こそ高まっているだろう.
コロナの偽陽性やPCRの結果の信頼性から,普遍的なバイアス,ヒューリスティックに至るまで.
基礎力の使いようは以下なども参考になる.
一方で以下のような上述に似た内容もあるが,結局読解に言語としての数学が必要なのはやはり変わるまい.
投資関連の噺としては以下も面白い.
ところで私も奨学金の負債を除いて下記の通りだったので,利回りのいいものに置き換えた.
ひとまず総資産額が¥1m行った
— AOKI Takashige (@aochan_0119) 2021年7月21日
あるいは会社の愚痴のようなテーマに戻るのであれば,以下の記事や動画は含蓄に富み非常に面白い.
1個人の従業員にできることは限られるが,意識的な就労に努める.
「パーパス」を策定する会社が急増 京セラも社風に危機感:日経ビジネス電子版