AOKI's copy&paste archive

高専から駅弁大学から東工大を経て大企業へ 浅く広い趣味とかキャリアの日記を

modern new left?

はじめに

ちょうど会社のボタンタリーイベントで下記のようなお悩み解決的なことをやっていた。


pytho.hatenablog.com

一応社内イベントなので多くは語らないでおく。
やはり昨今の風潮に合わせコンセプト自体が左寄りなのは否めない。
別段それ自体は構わないし、今回は特に批判しない。

ただそこで面白いと感じたことがあった。
このように労働者の権利を再主張するような流れが正しく労組交渉に親しいのだ。

左の力のバランスと在り方

弊社は若い会社で公式の労働組合は存在せず、交渉するにしても一般のNPOの協力をあえぐ形になるだろう。
とはいえ、これも大した力はなく、業界の人材獲得という資本主義の資金競争により、実質的な反権力の力学が働いている。
給料に不満があれば辞める、辞められたくなければ昇給するといった具体に。
正直、下手な権力主張よりもよっぽど筋が通っていて自由至上主義とも好相性で、個人的には好きで居心地の良い仕組みだ。

Colabo問題

大きく脱線するがやはりこの文脈で現在においてこの話題を避けては通れない。
彼らは左派の特に極派として筆頭に挙がる。
本来的な活動はそうでもないはずなのだが、身から溢れる錆はもはやその事実を隠しきれていない。
手短にまとめるが、上述したようなシンプルなルールが明快なわけで、下手な補助金漬けは市場を歪めるから、上手く事業運営、資金運用するにはかなりの努力が必要だ。
とはいえ、東京都側の支出管理も相当に杜撰ひいては結束していたようで、事態は泥沼を燃やすに至っている。
税金を扱う以上、その監査は厳格に審査され、かつ明朗に開示されなければならない。

さらに政治問題に軽く言及すると現政権もいまいちだ。
育休リスキリング問題や秘書官のLGBT差別など、保守陣営もこちらはこちらで目も当てられない。

草の根としての根

閑話休題
そこに昨今のESGの社会的力学により、ポジティブアクション的左寄りの力学が弊社にも不自然に働いた。
しかし本PJTへの参加で、弊社にも草の根の左寄りの活動が潜んでいたことに気づいた。
なお、それは物騒な革命的勢力とかアナーキズムというわけではなく、純粋に労働者の権利拡大を目指すのみである。

そこで例示されるのが主に子育て・育休に関するコミュニティだ。
そういうのがあるのは非常に良いことではあるが、在り方に改善の余地も感じられた。
仕方ない部分も大きいが、まずもって構造的に経験者と被補助者の力関係が極めて明確である。加えて年齢も同様の力関係を助長して、対等であろうとするには努力を要する。
だからここで強者は理想的であるために、態度に注意が必要になる。雑に言えば、老害やお局になることを意識的に気をつけないと、そうなってしまうということだ。

またこうした環境が相まってか、中年層に厚い組織になっている。
経営に近い高年層も必要でありつつ、主体的な若者のさらなる参入による多様化が望まれるだろう。ただ彼らも提供できる価値に乏しいため、在り方に難しさがあるだろうか。

世代間格差というか分離・隔絶

これを当該組織内のみならず、社内全体に広げて考えてみると、やはり参加率や年代のアンバランス感が気がかりになる。
そもそも社内において、事業や部署ごとに年代が固まりがちなのが、硬直化や同質化を助長しており、人事はそういった面にもさらなる配慮が求められることだろう。

これは主に働き方を軸において思考プロセスの着地点ではあるが、それぞれのサービスの改善においても同質的な組織では新奇性の高いアイデアが出にくく、気づいた頃には他社に負けているかもしれない。
理想論としては個人的にはやはりここに落ち着く。
pytho.hatenablog.com

開示

人事と言えばここも課題だ。
昨今ESG等の文脈で情報開示も重要になっている。
率直に言って弊社の現状は外から見て結構保守的で消極的だ。

これはどうも経営層の意向らしいが、漸進的に取り組み必要があるだろう。

他グループの活動

ここまで書くとほぼ全鋼になってしまうが、個人的に結構感銘を受けたので共有しつつ書き残したい。

他も左派的な文脈でそれぞれに取り組んでおり、そのいわば思想的な部分には濃淡があった。
やはり個人的には薄めで普遍的な課題の解決を目指したものの方が好感を持てた。

1つはそれぞれの生活時間を開示・共有するといったもの。
当初、彼らは個々人はかなり異なる生活時間を設けているものと仮説立てしたものの、実態的な時間の割り振りに大差はなかったそうな。
考えても見れば当たり前で、通勤列車には非常に明確にラッシュがあり、対象は弊社社員という根本的に一定の同質性を持っていた。

ただこの仮説の棄却ももちろん面白かったわけだが、その続きこそが真髄だった。
要は時間の切り方は同じでも、過ごす場所や使い方は違うということだ。
アフターシックスで映画を見るのか、勉強するのか、家事・育児をするのか、そもそも残業なのか。
朝も家事か、運動か、などなど。
これは専門だった交通行動の基底的な関連性も感じられて興味深かった次第だ。

もう1つは社内アセットを外部連携として活用する道だ。
本企画としての特異性、持続可能性などの総合的な点で高く評価できそうだと感じた。