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高専から駅弁大学から東工大を経て大企業へ 浅く広い趣味とかキャリアの日記を

ブルシットジョブに対する宣誓

若手社員に「頑張ってほしい」と伝えたら「おカネも地位も時間も何もいらないから頑張るのヤダ」と言われた時、どうすればいいのか?|よんてんごP|note

気持ちもわかるし、この要素が非常に強い同世代の知人が複数いる。

僕自身にも多少そういう要素はあるように思う。

ただ最近はそうも言ってられない。というのも、私個人のやる気が云々というよりかも、仕事に対するフラストレーションのためだ。具体的に述べよう。

要は先進的な方とされる弊社ですら、内部の業務プロセスは旧態依然とした場合が多分にあるのだ。
行き過ぎた先例主義や使いまわし、イノベーティブに乏しい発想、これらに伴うブルシットジョブ。

これらは別に放っておけばいいと言えばそうなのだが個人的信条として許しがたい。
非効率な仕事を強要されている環境と、それをする自分自身を徹底的に許せないのだ。

そこでの選択肢は2つしかなくて、辞めるか改革するか。
さすがに前者は苛烈すぎるし、一般的にウチよりもさらに悪い会社の方が多いと考えるのが自然だ。
もちろんベンチャー外資はその限りではないだろうが、まだ早い感もあって。

ブルシットジョブに関しては主題にした話題の図書があるので、かいつまんでみる。

要旨として彼はブルシットジョブ、日本語訳するならしょうもない仕事といったところか、をいくつかに類型化している。
例えばヘッドカウントを担保して部署を装飾するだけの場合。この人数は見掛け倒しなので中身の仕事は当然ながら空洞化してブルシットと化すわけだ。ただ権威を保障するにすぎない。
あとは上述したような惰性な非効率的な業務。これは業界全体的にはびこっている場合も多いらしい。

「わたしはイデオロギー的な観点で考えているのではありません。わたしはそうした観点からものを考えたことはありません」。オバマはつづけて、医療制度のテーマについてつぎのように述べた。「単一支払者制度による医療制度を支持するひとはみな、"それによって保険やペーパーワークの非効率が改善されるのだ"といいます。でもここでいう「非効率」とは、ブルークロス・ブルーシールドやカイザー〔いずれも保険会社]などで職に就いている一〇〇万、二〇〇万、三〇〇万人のことなのです。この人たちをどうするんですか?この人たちはどこで働けばいいのですか?」

読者には、この文章をじっくり読むことをすすめたい。なぜなら、これは動かぬ証拠だとおもわれるからだ。ここで大統領はなにをいっているのだろうか?かれは、カイザーやブルークロスのような医療保険会社がやっている何百万もの仕事が必要のないものであることは認識している。また、社会化された医療制度のほうが、現在の市場ベースのシステムよりも効率的だということさえも認めている。それによって、不必要なペーパーワークが減少し、民間企業間の過酷な競争活動が緩和されるだろうからである。しかし、かれは、まさにそれゆえに、社会化された医療制度は望ましくないというのである。オバマによれば、既存の市場ベースのシステムを維持すペーパープッシャーる理由は、まさにその非効率性にある。なぜなら、この書類屋たちに次の仕事を探してやるべく右往左往するよりも、基本的に無益であるおびただしい事務職を維持するほうが望ましいのだから。

これは他山の石として他人事にできないように思える。
日本国内全体でも未だに紙ベースの仕事は多い。
中でも医療業界は酷い印象だ。個人的にこれは理由が明白で、点数制度という既得権益に守られた業界のため市場経済の効果が働かず、改善の動機づけに欠けているためだ。
最近はマイナンバーカードの保険証もサービスインしたものの、こんな遅れた業界でどこまで進められるかは見ものだ。

さらに愚痴るなら、決済方法も大抵現金のみで酷いものだ。クレカすらないとは。
これも点数によって報酬が固定されるがために、そこを手数料として削ってまでサービスするインセンティブが働かないわけだ。
個人的に目安としての点数は公共性の観点から完全に否定はされないが、医療業界の自由化とサービス改善の原資として一定程度の病院ごとに定めた上乗せサービス料を請求できるように法改正した方がいいと思う。
患者としては一見この上乗せ分だけ費用が増し、ましてやそこに保険適用になるとは思えないが、その分病院ごとのサービスの改善が期待できる。
例えば、オンライン予約システムの開発費に充てて受付業務を低減したり、決済にキャッシュレスを導入してレジ締め的な作業の軽減を図る。


もちろん医療のみならずではあるが、やはり市場外の力が働く環境は歪みやすく目につく。

また本来的な引用の文脈に倣えば、市場経済云々を抜きに、ブルシットジョブを減らす分だけ人件費も業界全体で抑制できるだろう。その分、特に保健所などの公共セクターに近い方は、より本質的に求められたサービス改善の側へ労力を避けるだろう。

もうひとつの共通したテーマがある。金融機関で働いている人間の多数が――それ以外のほとんどの大企業で働く人々よりはるかに大きな度合いで――。自分たちの仕事が銀行全体にどのように貢献しているのかほとんと、ないしまったくわかっていない。たとえば、アイリーンは、複数の主要投資銀行のために「オンボーディンク業務」をおこなっている。「オンボーディング業務」とは、銀行のクライアント(このばあい、さまざまなヘッジファンドプライベート・エクイティ・ファンド)が政府の規制を遵守しているかどうかを監視する仕事である理論上は、銀行が関与しているあらゆる取引が評価対象にならなければならない。しかし、自明のことながら、そのプロセスは腐敗している。なぜなら、重大な仕事は、バーミューダやモーリシャス、あるいはケイアウトソースマン諸島(「賄賂の安いところ」)にあるうさんくさい小規模な会社に業務委託されているからである。というわけで、監視の結果はつねに問題なしとなる。とはいえ、一〇〇%の承認率というのもおかしなものである。なので、たまには本当に問題が発見されたかのようにみせかけるため、緻密な機構が組み立てられることになる。たとえば、外部評価者がその取引を承認したことをアイリーンが報告する、つぎに、クオリティコントロール[品質管理]委員会がアイリーンのペーパーワークを検討し、スペルミスやそれ以外のささいなミスをみつける、といった具合である。こうして各部署の「不合格」の総数が、評価基準にしたがって一覧表にまとめられ、それをみながら、個別の「不合格」をめぐって毎週数時間が会議に費やされるようになるわけである。

正直、読めば読むほどリバタリアンの原則の重要性を痛感させられる。
なぜこのような不要なプロセスが生まれてしまうのか。市場経済を重んじるのであれば、このような非効率は生まれないはずだが。しかし先程の規制産業とはまた様子が違うのか。
金融系も規制は働いているがヒエラルキーが高く汚職とも結びつきやすい点などが影響しているのだろうか。

というよりかは既得権益として不労所得を獲得している要素も強そうだ。
まさしく話題の公共福祉業務の資金使途問題に通じるような。

こうした不要な業務プロセスを組むことは、経営層としては不要な費用を払うことになり損で動機はない。
なのでイナゴが高利益率の業界からかすめ取る戦略として、緻密にそれっぽいものをでっち上げているわけだ。マッチポンプの場合も多いかもしれない。

それくらい不自然だ。またこういう面において、やはり監査の重要性も痛感させられる。
以下も詳細に再度アウトプットとしてまとめたい、が。

pytho.hatenablog.com


さらに役者あとがきでコロナにも言及されている。

不要な仕事と必要な仕事―パンデミックとブルシット・ジョブ

今回のCovid-19パンデミックのもたらした「ロックダウン」、日本では「自粛」状況は、「現代世界においては無意味で不要である仕事が増殖しており、しかも、そちらのほうが価値が高いとされている」という、グレーバーのかねて通りの主張を事実によって裏づけたという感もあり、あらためてかれの仕事が注目されているような「空気」を訳者はしている。

おそらく、そこで浮上してきたのは、「ブルシット・ジョブ」で前面にあらわれるよりは、その強力な文脈として作用していたテーマ、要するに、不要な労働ではなく、必要な労働というテーマである。これについて、パンデミック後に発表されたいくつかのテキストも利用しながら、補強しておこう。

まず、非ブルシット・ジョブとしてのケア労働についてである。

コロナのビジネスの影響としてリモートワークは広く喧伝されたわけだが、その裏でこうしたメッセージ・要素もあったというわけだ。

ブルシットとしての通勤の強要はもはやしょうもなさすぎるので一旦置いておく。
それはそれとしてコロナで多くのビジネスが停滞したにも関わらず、市場経済は意外と元気だった。
それまでの労働者は仕事としての作業を失ったり減らされたりしたわけだが、そんなもの社会的に別段本質的でも必要不可欠でもなかったわけだ。完全にそうというわけでなくとも、少なくとも本人らが思うよりかは。
これは認めたくないが重要な示唆だ。
ブラックだ何だ言って頑張ってきたつもりだったが、ぶっちゃけ完全にピエロだったという具合だ。これは痛快だ。特にブルーカラーはそうだろう。

反して引用の後半に言及されているように、ブルーカラーとしての必要なシットジョブやケア労働が重要であることに気付かされたわけだ。
これは誰もが認めるところだろう。結局、人間が生きていくためにはよくわからん広告事業云々のイケイケオフィス陽キャホワイトカラーよりかも、インフラを維持してくれたりまさしく医療系の草の根的な社会的なカーストとして下と見られていた人達が本当は縁の下の力持ちとして重要であり、意外に依存していたということだ。

この社会カーストという暗黙の社会ルールも闇が深い。これは直接的に金銭に関わるし、職業蔑視差別とも根深いからだ。
あまり意識している人や機会は少ないかもだが、やはりそうした人を今一度敬い、同情するのみならず金をやる必要がある。
奇しくも最近の電気料金を始めとした各種値上げ、インフレは彼らへの再分配を見直す機会にもなろう。
とはいえおそらく彼ら工場労働者らを握っているのは、都心のオフィスの現場を知らない経営のジジイやホワイトカラーの官僚的ヤツラだから期待しきれないのが残念だ。

市場経済主義のみならず、現在の権限セットにおいては、労働者がストなどでもっと声を上げないと格差は広がるばかりだろう。その必要性は国民皆がコロナを通して実感したはずなのに。
ただ国鉄の残した禍根もまた根深いというわけだ。。

話は引用から本題に回帰させよう。
最後にまとめるなら、どうしてもそれ自体を個人で変革するのも無理がある話であるから、こうしてブログを書いたりするにどうしても留まる。
とはいえ、こうした社会構造を理解した上で、そのいわば無能感、非全能感を念頭に置いて、自覚的にブルシットジョブに注意し、それをこちらのホワイトカラーサイドで徹底的に叩き潰さなければ申し訳が立たないというものである。

ただそんな理想論的でお人好しなお膳立てを無視しても、そうした動機づけを私個人は有している。根っからの効率厨であるから。
また社内プロセスのRPAやKPIのBI化も、自身や自部署の業務低減として同じくインセンティブになり、なによりTableauの周知含めそのプロセス自体がまた楽しくもあるのだから、ブルシットがあるとはいえ、案外楽しいものでもある。

オチというかこれを書いているのは2月上旬でありながら、読んでいたのは夏頃だったから半年ほど経ってしまい本の細かい内容は結構抜けてしまった。。
再読したいな。

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