上記の翌日の敬老の日は引き続き上野に出向き,東京都美術館のゴッホ展とその他もろもろを見てきた.
ゴッホ展は最高で本も久しぶりに記念に買ったので,あとで見ながら振り返るとして,ひとまずその他側の感想を留めておきたい.
行き先はぐるっとパスの残りの無料対象から近場を適当に選んだ.
ここは風俗の反映を意識してか季節の展示がされるのか.
ちょうど十五夜前日で思い出すきっかけになった.
とはいえ後日,ナボナの発祥の自由が丘は亀屋万年堂での限定品をほぼ定時帰宅で狙ったものの,売り切れであえなく撃沈.
防災袋は昨今の震災や激甚で重視されるが,そもそもの考えは古くにある.
そもそもとしてこうした歴史を覚えておくとは重要だろう.
順路的に狭いところを指示されるが,この狭さが下町らしさとも感じられる.
もっとも本当にこんななら延焼しない方が不思議というわけだ.
これらは建物の都合か8割スケールだとか.
1階は主にそんな模型展示と雑貨の併設.
2階は写真や紙の資料が主.
大正の浅草といえば,直近で思い出されるのはフジテレビでも再放送された鬼滅の刃.
正直,町並みとしては関東大震災があったり,そもそも大正が短かったりで,あまり把握できていないところもある.
浅草が栄えていたように当時は東東京が中心で,皇居よりも西側の地域はあまり栄えているようには見えない.
なんとも江戸川で大きく隔てられる墨田,葛飾などと,今日の新宿,渋谷との対比が激しい印象だ.
これも盛者必衰か.
であれば大丸有はともかくとして,副都心側も案外ぬくぬくしていられないのかもしれない.
実際,個人的にはごちゃごちゃして同質的な副都心の空気は合わず,上野の広々とした都市として余裕を感じる空間の方が緑も多く文化的で好みだ.
上記はちょうど戦争かという時期の楽譜.
琴の楽譜も数字だった覚えだが,この頃は必ずしも西洋式で統一されていなかったか.
下記で奏楽堂で昔の楽譜を知ったつもりになっていただけに少しショックだった.
館内は以上を除き撮影禁止なのは惜しいところ.
また上述のように既に時間を使いすぎて,回覧時間は1時間もなかったので若干消化不良.
館名は書道とあるが,展示は写真の通り一般的な書道の範疇に留まらない.
てっきり和紙,半紙の固定観念がついてしまっていた.
もちろんそうしたものもあり,それは三筆という四天王的なものなど古文書10数点もあるそうな.
それらに対する書道家から見た字体への評価は,素人でも理解できるよう噛み砕かれており面白い.
1書道家が大先輩の傑作に感嘆し憧れているような書き口もいい.
内容はフランクな文脈だ.若者に合わせる中年以上のキツさ,寒さが若干しないこともないが,それがまた面白いところでもある.個人の感想.
あるいはコロナに関する注意書きも現代アート的な不思議な書体で書かれているのは,当館の個性を存分に発揮しているところだ.
そういう博物館としての補助的な細部にも光るところはある.
さらに初めて見るものも多く,これは単に私の不勉強によるところだが,黒い紙に金や白のインクで書かれた巻物もあった.
そういう材質的なところにも当時の金銭的,文化的余裕の程度が垣間見れるわけだ.
あるいは石碑の魚拓もあった.
石という材料は硬く一見長持ちしそうに見えるが,そもそも脆性的で細い表現が難しい.
加えて一般に外に置かれ風化してしまうため,案外紙の方が古いものがしっかり残っていたりするわけだ.
石碑としては完全ではないが,日本は646年のだとか.
そして魚拓は画質が荒くなるわけだが,文章そのものはもちろんのこと書体や感覚が保存される.
コピーと侮ることなかれ.
奈良時代は中国に倣ってか楷書がしっかりしていたが,平安に入ると屏風やひらがなの開発に伴い草書的な伸びやかなものも見られた.
また書道そのものの奥深さも感じられ,空海の文はただの文章でありながら,そこを大小や筆の太さによるアクセントによって,うまく文中の単語,文字の強弱が表現されている.
現代もフォントやBoldで調整できるとはいえ,やはりアナログの人間味の面白みは奥深い.
そう,書道といえばフォント的な側面からも分析できそうだ.
現代にもフォントオタクというのがいるし,もちろんその開発者もいる.
これらはロビーのある企画展側の展示.
通常展の方は上記の写真のように書道からはやや離れたテーマ.
中国の石碑や鉄器の碑文を通じて,時代ごとの書体の変化を紹介する.
が,上述のように時間がなく,特に企画展に長居してしまったこともあり,特に消化不良.