一見関連性のないテーマたちだが、タイトルのスキーマという概念に関連が見える。
そういう面白さも感じたので、まとまりきらなくもあるがまとめてみる。
言語学
ToTALで面白そうな話題が開かれていたので参加してみた。
辞書編集者のマルチリンガルが話者で、東工大のトリリンガルと母国語で話していたりしてすごかった。小並感
細かい点は省略するとして、まず響いたメッセージが言語学習に対する態度。
いわばYES LEARN, NO STUDYといったところ。
これは英語のニュアンスを把握しないと伝わりにくくもあるが、機械的で研究的な学習に否定的だった。
これは考えても見れば当たり前のことで、多くの言語学習者はその言語を研究することを目的とするのではなく、コミュニケーションの道具として習得しようとしているにすぎない。大げさかもだが、多くの場面で手段が目的化しているとも言えそうだ。
自発的な心がけと熱意こそが重要だ。
具体的な態度として、彼はスピーキングを推奨していた。まあ分かる。
直截的な表現こそなかった印象だが、日本の公教育の英語教育の批判そのものに聞こえた。
実際に業務上でも稀に英語は使うが、文法がどうとかはあまり重要ではない。これは次章でも同様の話がある。
それからツールの話に移行した。最近は言語学習用のアプリも充実していて
- dulingo
- babbei
- busuu
- linq
- glossika
などがある中、dulingoはオススメしないとのことだった。
逆にそれ以外は未知だったので知るいい機会になった。
向き不向きの個人差や語彙・文法などの役割や目的も異なるだろうから、これらはうまく活用したい。
もっともこうした表面的な部分は、本公演の主たる聴衆の学歴の上澄みには響きにくいだろうが、その根本たる哲学的な部分や外国人の漢字の受け止めもまた聞いていて面白い話だった。
英語学習
上記の本を読む:認知するきっかけになったのは以下の記事だ。
記事自体が個人的に興味深く、英語学習に現時点では必要性や課題が薄まっているものの、岩波新書は薄いしサクッと読んでしまおうと思った次第だ。
「英語スピーキングテストは愚策」と、認知科学者が断言する理由:日経ビジネス電子版
テストや公教育のあり方は一旦置いておくとして、英語学習の方法や態度を考えたい。
と思ったが、どうしても特に子供は、テストの結果という目的から逆算されるため、切り離すのは難しい。
繰り返すが、これは実際に業務で英語を使っていてしばしば感じる。
これは個人的なガサツな態度からも来るところだが、細かい文法なんてどうでもいい。
5文型、冠詞、可算名詞、関係代名詞、いずれも多少間違ったところで、相手が人間である以上大体伝わる。人間は文脈を補完できるから。
もちろん正しい文章の方が正確で手戻りも少ないが、だからといって最初から完璧を目指す必要はない。
小学生、中1の初学者だろうが、とりあえずはありあわせの語彙と文法でコミュニケーションを取ろうと努力を繰り返せば、自ずと英語力は強化されるはずだ。
学校時代を振り返っても実践的な応用には著しく欠けていた。発言するにしても教科書を音読するだけで、自身で作文するという機会が圧倒的に不足していた。
そういう問題点が記事にも繋がるとも言えるかもしれない。
とはいえ、ここまでは本を読んだ上での個人的な持論で、本の要旨とはかなり異なる。
本の内容を簡潔にまとめて紹介すると、本記事の題のスキーマの重要性を説いている。
要はその言語特有の文脈というか文化的背景のようなものである。
具体的には動作について、日本語がオノマトペや副詞を多様するのに対し、英語は動詞そのものを使い分ける点などだ。
それから上記と相反するが、スキーマとしての冠詞の重要性も説いている。やはりこれが不適切だとネイティブには気持ち悪いらしい。とはいえ、「普通」のコミュニケーションでは大体埋め合わせてくれるのでいいんじゃねえと私は思うわけだが。
さらに語彙としてのスキーマを強化するため、オンラインの辞書あるいはそれに類似したツールの使い方を紹介している。
ここも前章と同様に、英語力はなんちゃってTOEIC800程度と依然不足しているものの、大方英語学習を完了した私個人には関係性が低かったものの、それはそれとして読み物としても面白く、英語初学者や学習中であれば尚の事参考になるだろう。
それとそれに関連して、既存の英語学習方法も批判されている。
SQL
最後のこれは無理やり変わり種として仕込んだ感は否めない。
とはいえここまで英語について振り返りつつ、業務でプログラミング言語、アセンブリ言語を使用していると、そこに関連性を見出した。
特にGoogle BigQueryにおいては、Schemaというタブが実際に存在している。他の言語にもありそう、しらんけど。
会社の研修や友人からの相談で、プログラミングの習得に苦労するという話は耳が痛くなるほど聞いてきた。
そこで感じたのが私自身の英語学習に対する苦労感だ。
要はPCとはプログラムとは外国人あるいは異星人なのだ。
その忠実な命令を概ね理解さえできれば、語彙:関数の知識が不足していても、プログラムと対話:デバックしてコミュニケーションできる。
逆にPCの文化としてのスキーマを理解できなければ、プログラミングは身につかないのだ。
表面的な習得に苦慮している人は、プログラムを根本的に見つめ直してもいいかもしれない。
いわゆるプログラミングが得意な人らは、これらを自身の内発的動機づけによる繰り返しの実行によるバグへの直面とデバック、StackOverFlowでの検索・解決といったPDCA的プロセスを経て、自然に理解したものと考えられる。
プログラミングの原則的スキーマ
- 命令は自明でなければならない
- 情報は予め入力(準備)されなければならない
上記のようにまとめられたりするのかなあと思う。厳密なものは先駆者がいそうだ。
書いていて思ったが、そもそも言語的なアプローチで理解するのが誤りにも思える。
これはどちらかというと数学だ。要は定式化と境界条件だ。
確かに?微分方程式が解けて、プログラミングができないという話は聞かない。そもそも前者の条件がかなり厳しいが。
となるとプログラミング入門書より、算数ドリルの文章題を復習した方が存外近道ということもあるかもしれない。
少し話題の2021の小6の共通テストを扱おう。
令和3年度全国学力・学習状況調査の調査問題・正答例・解説資料について:国立教育政策研究所 National Institute for Educational Policy Research
https://www.nier.go.jp/21chousa/pdf/21mondai_shou_sansuu.pdf
文章題
8 人に, 4 L のジュースを等しく分けます。
1 人分は何 L ですか。求める式と答えを書きましょう。
数学的定義
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プログラミング
今回はPythonじゃなくてあえてややこいJavaで書いてみたんだけどね。
class problem{ public static void main(String[] args){ int n; n = 8; double vol_all, vol_pp; vol_all = 4; vol_pp = vol_all / n; System.out.println("1人当たり:" + vol_pp + " L"); } }