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高専から駅弁大学から東工大を経て大企業へ 浅く広い趣味とかキャリアの日記を

フランス文学

端的に言えば,下記の続き. 

pytho.hatenablog.com

 

上記では受けた講義全てを簡単にまとめた形だが,文学の講義に絞ってまとめる.

というのもこの講義,世界文学というタイトルで世界中を網羅的に扱い,都合オムニバス形式なのでとても面白いのだ.前回は中国が舞台だったが,今回はタイトルにある通りフランス文学.とはいえ講義時間も限られているので一部に限られ,興味があれば読んでみてねという紹介のニュアンスを強めに感じる.

ちなみにその次は現在やっているドイツ文学なのだが,これがブログにしにくい.先生それぞれの講義スタイルに依るところが大きい.これまでは訳書や解説書,類似する書籍の写真,引用のスライドを交えながら,視覚的情報も使いながら講義が行われてきた.しかし今回は口頭のみで配布資料もスクリプトだ.さすがにこの講義資料を転載できないし,うまくまとめるのも難しいので,本記事はこの今回の感想もいっそ付記してしまえと思う.ぶっちゃけ講義資料がないとなんのこっちゃという感じかもしれないが,往々にしてこのブログは私のメモ・アーカイブが第一目的なので致し方なし.対象作品くらいは紹介するので,もし興味があれば読めばといった感じだ.

ちなみにだが,ゼミや他の勉強が忙しく,課題図書含め読書が全くできていない.というかどれも中途半端感が半端じゃない..

 

さて前置きが長くなってしまったがまとめていく.とはいえぶっちゃけほぼほぼリアクションペーパのコピペだ.

 

プルースト失われた時を求めての訳による違いや,文体の歴史の立ち位置を扱った.一人称による主体的な語りながらも,俯瞰的な人物の重なりの夢のようなギャップがある.これはマドレーヌのシーンに代表される感覚的文体による.そうして断片的ながらも,全体ではメタ的なコンセプトを内包する.

同性愛を夢の理論として女性として描写したとあったが,作中の描写において矛盾が生じないかが疑問だった.愛する男性を女性的に書くことは難しいように思う.一般的に短絡的に考えれば,女性を愛する要素や描写は,曲線的な容姿や華奢な様子,お淑やかで美しい仕草などであろう.男性的な女性も存在するが,そこを理性的に承知して,完全に女性へ置換されたのか,現実に近づけて男性的(?)に書いたかは気になるので確かめてみたい.
またマドレーヌの描写は初見だったが,非常に豊かな表現だと感じた.

クンデラの存在の耐えられない軽さを中心に扱った.純粋なフランス文学ではなく,クンデラ自身の人生からチェコ共産主義下の描写,影響があることを扱った.そこで哲学的な側面を併せ持ち,ある種文理の対立が見られる.理系的な自然科学が絶対的な法則に従うロジカルなものに対し,クンデラの扱う文学は社会科学的な不確実性を持つもので相対的である.ある種,執筆そのものが思考実験であった.

共産主義下の執筆の点からの考察は興味深い.隣国,中国の現代文化の雰囲気を知る一助として,高行健らを読むのも面白そうだと思った.構成にピアノのテクニックを織り交ぜる点は,現在東工大でも重視されているリベラルアーツのようで好印象だ.専門知識を極めるのみならず,幅広い知識が高い評価につながった証左と感じる.蛇足として,チェコや政治,カフカというキーワードから伊藤計劃虐殺器官の一節を思い出した.現代小説においても,こうした名著の影響を受けている可能性もあるし,考察も深まると思うので,折を見て比較してみたい.

ドイツ文学

ブレヒトガリレイの生涯を扱った.そこで彼の有名なエピソードである宗教裁判と学説撤回を,理性をテーマにしてまとめられている.特徴として,既存の共感を生むとは反対に,観客・読者に理性的に俯瞰的に捉えることを異化効果として狙う点がある.

ガリレイの宗教裁判の顛末は正直なところ詳しく把握していなかったので,いい機会だった.この生存のために信念を曲げた点は,筆者の望むところではないだろうが,筆者の亡命の背景と重なる印象がある.
賢さ且つ勇気が求められる近代ドイツ的(?)志向は興味深い.これはナチスドイツの支配へのカウンターという,環境の側面もあったかもしれない.この点は,前回の講義の共産主義と知識人の対立に似たものも感じる.また現代のイデオロギーにも通じるものがある.トランプ批判の下地とも捉えられる.あるいはダニングクルーガー効果とも類似しそうだ.
サレグドは両立する人を破滅すると批判したが,これには私も同意する.人間は理性を持つ知性体であるものの,神ではなく完璧でもない.その不完全性を以て人間社会は均衡を保っている.実際は完璧な個人は存在するかもしれないが,集合体である社会にこうした個人が馴染むことはひどく難しいのではないかと思う.
人間が獣のように理性を利用するという悪魔のキリスト教的神の批判・皮肉も面白い.これを悪魔の戯言と捉えることで,自身を補強しようとする人間もまた皮肉で面白い.