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高専から駅弁大学から東工大を経て大企業へ 浅く広い趣味とかキャリアの日記を

Homework: Introduction to U.S. Land Use Planning & Regulations

 

Week3

Thursday, October 3, 2019

contents

Fulton, Chapter 8, “The Basic Tools, Part III: The Subdivision Map Act,” pp. 169-78 (REQ.)

Nolon, John and Patricia E. Salkin. “Subdivision Control and Other Methods of Community Building.” Chapter IV in Land Use (in a Nutshell). St. Paul, MN: Thompson/West, 2006. (pp107-129) (OPT.)

 

土地をばら撒くような御伽噺は土地が広く余っているアメリカらしいなと思い,序盤から国や文化の違いを感じた.またこうした地理的な違いなどに基づき,伝説や文化も変容するだろうという点で面白かった.恐らく似た話でバニヤンの伝説は聞いたことがあり興味深かった.土地区画の歴史も面白かった.やはり元来大地主がいて,そこから細分化されつつ市民へ分割されていったのは日本に似ているのだろうと思った.あまり歴史に詳しくはないので推測も含まれるが,日本でも社会的地位のあった人からその没落の過程などで変遷しているのは同様だろう.しかし本書では,本の付録のような扱いが挙げられているが,日本の19世紀やその以前の土地販売は,都市では開発と表裏一体だったと思う.好例が東急の沿線地域だ.彼らは財閥系だったこともあり,莫大な資本力から鉄道新線開発に際し,住宅分譲も一体に整備し,良好な住環境として付加価値をつけて販売することで,更なる利益を得ていた.アメリカでは車社会なこともあり,こうした部分でも差異があるものと考えられる.またそのため日本では勤務や生活を吟味されることが多かっただろうが,アメリカでは丘の側かもしれないのに煽られてしまったようなエピソードは象徴的で風刺的なようにも感じた.

この流れを考えれば,土地の分割に法規制が入るのは自然なことだが,ここでも日本と対照的に感じる.日本では旧来から相続において,その家庭的立場に応じた分割が行われてきた.次第に土地が小さくなりすぎて交渉が行われるようになったりしたのは,日本における風刺的なものと言えそうだ.またこれにより土地が細かく複雑化し,現在において再開発などのための用地取得が困難になっている遠因と考えられる.だがアメリカのこの地図法においても双方の保護によって混乱・訴訟が起きているため,そもそもの問題の難しさがうかがえる.とはいえアメリカは良好な都市環境を整え,コミュニティの保全を図るため,書類上・物理上の乱開発を防ごうとしているのは本質的で評価できると思う.また所有者と行政の双方にインフラ整備のための利害の一致が達成されており,この点も評価できると思う.公園に関する規定は特に優れていると感じる.直接的な金とそのための余地という代替案で2つの道が示されているのは,開発者に選択の余地があり良く,また行政はいずれにおいても公園を確保できるので素晴らしいと感じた.ゾーニング条例との関連については日本と同様と考えられる.日本においても用途地域の定められた地域においては,土地利用の厳しい制限を受ける.また都市計画調整区域であっても開発許可の不許可というものがある.しかし日本の法制度の穴を感じることはしばしばある.この開発許可は形骸化していて地方でも乱開発が起きてしまい,また土地の隣接状況において優遇されることもあった(下記参照).総じてアメリカの規制においては,行政が法制上優位な立場にあり,また裁判所も絡みながら法律・規制・仕組みが有機的に働いているだろうと考えられる.蛇足になるが,アメリカにおいても開発に対し反対する勢力が現れ,そことの折衷には苦労しているようで世界的な課題で合意形成の難しさだと感じた.最後にアメリカでは,国・州・その下の町がそれぞれ独立して尊厳が保たれており,下位が上位意見に左右されない,忖度しなくてよいのは大規模プロジェクトの上で難しい面もあるだろうが,いいことだと思う.

 

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