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高専から駅弁大学から東工大を経て大企業へ 浅く広い趣味とかキャリアの日記を

神山高専あまりオススメしません

全然知らんけど。
別の高専で長短も実感した経験を踏まえ。
起業はしてないが、有名大企業で新規事業に絡んでいるので、親和性や説得力はあると思う。

とにかく高専はリスクが高い。
そこの注意が必須だ。

在学期間

まず5年の在学期間。
中学卒業時点の判断で成人まで突っ走る。
その頃に十分な判断力が備わっているだろうか。

また柔軟性が低い点もリスクを高めている。
一応、3年通った後に大学へ移ることも可能だが、あとから進学校との競争をしようにも分が悪い。

大学には編入学があり、これが高専最大のメリットと言っても過言ではない。
しかし神山高専の専攻郡で、大学側のニーズに合うかは微妙だ。
高専と大学のコネクションは工学・エンジニアリングの部分で強く、ビジネス側に強みを持っていても大学にはそれほど魅力的に映らない。
文系の経営系の学部は、そもそも編入学が工学系以上に珍しいし。

認知度が低いのも問題だ。
ただでさえ高専という変な形態をとっているのがリスキーな中、神学校で認知度は最低レベルだ。
こればかりは仕方ないが、下手にリスクオンすることもないと老婆心的に思ってしまう。

そう話はこの構造に終始する。
個人的に人生、特にその前半にリスクテイクすることは、重要でむしろいいことだと考えている。
しかし何でもリスクがいい訳ではなく、適正にやや高いリスクに乗ることが重要だ。

立地

続ける。立地も問題だ。
高専あるあるだが、田舎の僻地で閉鎖性が高い。
特に校内の人間関係に注意する必要があるし、上述のようにそれで思春期を完走しなければならない。
そこで仲良くなれば一生の友だが、リスクとは隣り合わせだ。
当然、中学時代や校外の人間との関係維持は難しくなる。
余談だが恋愛もかなり難しいだろう。

別の側面でも立地には問題がある。
高専に僻地立地が多いのは、高等学校としては後発で公的に進められたためだ。
逆に私立は比較的利便性の高い都市部にある事が多い。
今回の神山高専は私立でありながら、僻地にあり上記の法則に反している。
これまでは公立は立地を犠牲に教育の質を、私立は教育の質を犠牲に立地を得てきた傾向にある。

しかし本校は一方的に経済性を重視してか立地を犠牲にしている印象だ。
起業を軸にするならば周囲に産業基盤が整っている都市部の利点が大きいのに、これを大きく逸している。
コロナでリモートの可能性も広がったが、結局RTOになったように物理的対面は重要でこの武器がないのは苦しい。
出資者がこんな田舎まで来てくれるというのは楽観的すぎる。虫がいい。

この点は類似したようなモダンな学校においては、N高とかのほうが合理性やコンセプトの一貫性、柔軟性で優れている印象だ。

社会との断絶が強いと、社会課題に気づきにくいというのも気になる。
地方創生には殊更強いだろうが、狙う市場がニッチすぎる。
これは課題山積だが、行政は金がないし、金の匂いがしないから大企業も興味がない。

流行と教養

これはN高、ひいてはオンラインサロンブームも関連するが、昨今の起業ブームには注意すべきである。
流行りというのはバブルであり、普遍性、応用性に欠ける。

そもそも高専実学重視な分、教養の犠牲度合いはすこぶる高い。
大学なら他学科に触れる機会が少なからずあるし、私の在籍した東京科学大学へと進化する東工大に至っては教養を最重視すらしている。
こうした涵養なくして深みのあるプロダクトやサービスを提供・担保できるかは心配だ。

そもそも起業は手段でしかなくて、何らかの目的があって然るべきである。
それが上述した社会課題である。
これはマーケットイン的思考で、他にプロダクトアウト的思考もある。
しかし後者は別の高専で専門を極めているヤツの方が、一般的には強いはずで中途半端感は否めない。
もちろん後者は視野狭窄気味なので、そこをブリッジ的な役回りするというのも1つの戦略ではあるかもしれない。

まとめ

とにかくこういったリスク要因があるので、流行りに流されず吟味して考えるべきだ。
どんなにリスクオンでも自身で熟慮した上での判断であれば、それは尊重されるべきだと思う。
また上述のように私は批判的に懐疑的に見ていて、同じような人は社会に一定数いるだろうから、それを見返すぐらいの気概で結果を見られることを楽しみにはしている。

特にここは学校としてかなり失敗に寛容だと思われる。
ケガでも若いうちにした方がいいので、起業家精神を持って挑戦には積極的に取り組んでもらいたい。
自身の反省として母校や自身は、そうした社会応答の気概が弱かった印象と若干の後悔もあり。