AOKI's copy&paste archive

高専から駅弁大学から東工大を経て大企業へ 浅く広い趣味とかキャリアの日記を

USAの先生の講義課題:予習

Introduction to U.S. Land Use Planning & Regulations
米国土地利用計画序説

Week4

Monday, October 7, 2019

Fulton, William. “CEQA at 45” in Planning: The Magazine of the American Planning

Association. Chicago: APA, October 2015. (REQ.)

New York Department of Environmental Conservation. “Local Official’s Guide to SEQR.”

http://www.dec.ny.gov/docs/permits_ej_operations_pdf/seqrofficials.pdf (REQ.)

 

今回の内容に関しては,日本の環境アセスメントに非常に似ている.日本でもシカゴと同様に,環境への影響が極めて大きいとされる大規模プロジェクトにおいて,概ね1年がかりで環境アセスメントが行われることが義務付けられている.その中でもプロセスも類似しており,骨子を作り縦覧によって市民らの意見を収集し公聴会などを経て最終的なものを作成するのは共通している.しかしこれを読んだ限りでは日本の方がより厳密であると感じた.

日本においては,事業の実施段階から土地の選定や事業の有無を諮る戦略的環境アセスメントという上流のプロセスがまず存在する.

またアセスメントの本プロセスにおいても,配慮書,方法書,準備書,評価書,報告書という多層の段階がある.右図はそれを示した東京都の資料である[1].ここでは多くのステークホルダーとの関連についても示されている.しかし機会は与えられているものの,市民の関心は大抵の場合において低く,制度が整っていても十分に機能しているとは言えない.

またこれは環境アセスメントに限らずに日本の都市計画のプロセスの全般に言えることだが,前述のように市民の興味が少ないため市民参加も少なく,また出される意見についても建設的になる場合は低い.これに関しては,本レポートの最後に示した論文レビューの通りである.また「地下鉄7号の延伸に関する環境影響評価」においては,市民意見がたったの3つだけであり,また意見としての形式を満たしていないということで特に検討されないものもあった.例えば市場の豊洲移転では,着工後・建設後に苦情が殺到してしまった.こうしたことの予防ができるような工夫が必要だろう.

また環境アセスメントのそもそもの考えとして,ミチゲーションというものがあり,これは回避,最小化,低減,代償といったコンセプトで順番に検討される.ただ,これについて詳細に調べてみたところ米国発祥の考え方だったようである[2].日本においては,土地の制約などから回避なども難しく,しばしば代償が前提にプロジェクトの検討が進んでしまうのが問題である.

NYのテキストにおいて,外注できず事業者自身で行わなければならないようになっているのは評価できる.これについて,日本では今大きな問題になっている.市民の関心は向いていないが,これにより今後の環境アセスメントのあり方が崩壊する懸念もあると,私は考えている.それが,大阪のIRカジノ構想に伴う環境アセスメント大阪市自身による実施だ[3]環境アセスメントのあり方の都合,これは結果的に独り相撲の様相を呈する懸念がある.自身で作ったものを評価するのだから当然である.そのためこの問題には,しっかりと意見書を出さなければならないし,市民が鋭い視線を向けなければならない.また焦りも見られる[4].こうなると適切にプロセスが進められるかの懸念や,結果ありきへの懸念なども生まれてしまう.環境・経済ともに見切り発車で事業が行われると,将来に大きな禍根を残す可能性がある.環境破壊や赤字路線といったものだ.昨今ではSDGsへの関心も高まっているので,まさしく万博開催後の事業性の持続可能性を慎重に吟味しなければならない.

また事業者自身で行われるのが優れているとは述べたが,日本においてはコンプライアンスが軽視され,こうした場合に隠ぺいや改ざんが行われることがしばしばある.そのため日本ではより外部の厳しい目の下で行われなければならないと感じる.

プロセスの日数や文書の公開などは若干の差異はあるが,概ね同様であり妥当と考えられる.しかし欧米のシステムのそのままの輸入は日本には馴染まないため,より意見が出やすくなるようなアレンジの検討も必要だと思う.

また米国の評価システムにおいては,評価に際して条件を詳細に付すことができる点で素晴らしいと思う.また資料を探したところ,米国では複数の建設案から最善案が選択されるプロセスを踏んでいるのに対し,日本では代替案が不要で環境基準を満たしているかとそのための努力を行ったかで評価される.そのためあまり本質的なものとは言えない.基準の確認は評価できるが,努力というのは評価のしようがない.

交通量の検討がされるよう改善されたのも評価できる.米国で車優遇でなく,環境配慮のプロセスが組まれていたのは意外だった.交通量は経済と環境にトレードオフなので,その点を詳細に検討するのは非常に有意義だと思う.日本においても,環境アセスメントに類似した評価プロセスとして費用便益分析があるが,時間便益や事故低減便益のみ考えられ,環境への検討はなく縦割りになってしまっている.またこの経済的指標により,事業の採算性が評価され,便益が費用を上回ると決定される(B/C>1.0).全体の包括的な評価プロセスの導入が不可欠で,2つを融合すべきである.これは日本のみならず,米国にもあてはまるのではないかと思う.ただ環境と経済の両者を考え,自動車の円滑な流動が検討されたものは評価できると思う.

 

[1] http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/assessment/tokyo/about.files/hpasessfo.pdf

[2] Akira TANAKA, “A Compensatory Mitigation Case Study in the United States and its Prospects in Japan”

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jila1994/62/5/62_5_581/_pdf

[3] 日本経済新聞「カジノ誘致 大阪府・市が異例の「自分で環境アセス」」https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49130490Y9A820C1AC8000/

[4] 日本経済新聞大阪府・市、IRの万博前開業に総力 環境アセス前倒し」https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49253650R30C19A8AC8Z00/

 

Contextual Urban Design: U.S. Experience & Perspectives
コンテクスト配慮型都市デザイン

Week4

Monday, October 7, 2019 

Howard, Ebenezer. “Author’s Introduction” and “The Town-Country Magnet” in The City Reader, 3rd ed. LeGates and Stout eds. London: Routledge Press, 2003. (From Garden Cities of To-Morrow,1898) (Pages 309-16) (REQ.)

Wright, Frank Lloyd Wright. “Broadacre City: A New Community Plan” in The City Reader, 3rd ed. LeGates and Stout eds. London: Routledge Press, 2003. (Originally published in Architectural Record, 1935) (Pages 325-30) (REQ.)

 

ハワードの雑然とした密集した都市に集中することへの懐疑は,非常に日本の特に東京に対して啓蒙的で皮肉だと感じた.東京はこれまでこそバブル景気などにより,世界一の経済都市であったが,途上国の台頭や日本の斜陽に伴い,徐々にその勢いを失っている.しかしこれはいいことだと私は捉えている.東京は既に飽和していて,これ以上の流入は本当にバカにならない.土地の価格は上昇を続け,庶民が住むのに難しくなり,鉄道の混雑は本質的な改善が不可能であり,防災性は実のところ著しく増加し,コンクリートジャングル化により環境は著しく悪化し,熱しやすく冷めやすくなったことで寒暖差が大きくなり,これに伴いヒートアイランドゲリラ豪雨のようにいわば気候変動の様相を呈している.また東京の周りの関東圏においても程度は低いが同様の問題が起こり,舗装により排水が著しく円滑になったことで自然の洪水調節機能が失われ,下流域の特に墨田区葛飾区などの東東京において,水害リスクは,都市人口のバランスに見合わない危険に見舞われてしまっている.

都市の持続可能性という点において,東京は非常に危うい立場にあると思う.住宅の供給は落ち着いてきた印象があるが,居住選択の自由もあり法規制などがされているわけでもない.ただ京都をはじめ[1],災害リスクの高い地域には住まわせない仕組みが黎明期に入っている点は評価できる.これがより広い視点で検討されることを願う.

またこうした都市集中問題の裏では,地方の著しい人口減少があり,こちらの持続可能性は,より切迫した問題となっている.そのため,包括的に“回帰”を促す施策が必要だろう.日本流としては,こうした社会問題に対処する都市施策が必要だろうと考える.ハワードが磁石と例えているのは面白く本質的と感じる.

東京については,前述のとおりコンクリートジャングルで緑が圧倒的に足りない.皇居が皇居として存在したのは,不幸中の幸いだったともいえる.こうした公園でしか,大規模な緑は残っていないと言っても過言ではない.他は新宿御苑,代々木公園,日比谷公園などだ.これからこうした大規模な緑地施設を作るのは,極めて困難である.しかし日本の各デベロッパーは,こうした問題に向き合っている.(これはそうした都市環境でなければ価値付加が難しくなったという社会変化・市場変化もあるだろうが.)彼らの計画では,グランドレベルの緑が重視されるようになっている.そして商業・住宅施設は高層ビルに集約化されるか,地下化されるのが主流となっている.日本の土地の少なさを端的に表した施策といえるが,個性的で評価できると思う.ハワードと同様,妥協もありながら,実現可能な道をとっているのだと考えられる.

三菱地所は東京駅という日本の顔の前の大丸有エリアを有していることもあってか積極的に見える.駅前にはオープンスペースが広がり,その周辺の道路には街路が整然と立ち並んでいる.色調も全体として落ち着いて調和がとれている.また最近では,一部の裏道を利用してオープンカフェを開く施策も行われている.これは日本でも例が少ない.私が夏に訪れたときは,木陰というよりかはビル影により涼しい空間となっていた.都心らしく置換されていると思う一方,冬場はさらに寒いのではないかとも気になった.このあたりは随時工夫などが必要だと思う.

また次のページの鉄道に着目しているのは,先週と同様に日本では東急が想起される.緑により着目した“田園都市”としては,大岡山からも程近い田園調布が,非常に近いものとして挙げられるだろう.これは東急の開発でも力が入れられたもので,田園都市論がモチーフになっており,同心円状の街路・住居配置となっており,環境へもフレンドリーで済みよい環境が形成されている.ただしこれは都心の郊外であり,地方都市でこうしたものはあまり見られない.愛知県の長久手市では,愛知万博の跡地を利用して,よい都市環境が形成されている.田園都市論で鉄道に言及されていたのは知らず勉強になった.確かに環境負担の低い街といえば,公共交通システムが担保されたものであり,古くから提唱していたのは感嘆である.

郊外については,団地をはじめとした宅地形成が挙げられるが,旧来日本では詰め込むように配置され,緑の余裕はまったくない.“団地”は集合住宅であるが,高度経済成長期だったこともあり.戸数が重視されマンションの効率的な配置が重視された.また最近はこれらが老朽化し,住民も高齢化しており階段を上る負担など問題点が浮上しつつある.その後,ニュータウンのラッシュとなった.これは既存のものに比べ,いくらか土地に余裕があったため,ある程度緑が残され環境的には優れている.これらはハワードの考え同様に,鉄道建設と関連させてしばしば検討・建設された.しかし結果として,多摩や千葉などで成否が分かれる結果となった.バブル崩壊が主な要因である.

なお日本では,このような計画があっても,住宅のみが供給され,結果として昼間人口が東京に集中する問題は解決せず,むしろ悪化させているとも言える.東京一極集中を是正する必要がある.その点において参考になると考えられるのが,大阪・神戸・京都の関西圏だ.これは3つの都市圏が多核連続的に存在することで,種々の要因が分散されている,また鉄道アクセスも新幹線,新快速,快速,各駅停車(JR/私鉄)で,遠近分離され様々なサービスが供給されている.これにより,朝に上り列車,夜に下り列車に集中するといった現象が軽減されている.この実現のため,東京圏の横浜,埼玉,千葉などの努力が欠かせない.書いてある通り,都市の利点を再構築し,自発的に人口の再分配を促さなければならない.これを考慮してか,一部省庁はさいたま新都心に移された経緯などは評価できる.しかしここでも環境配慮はまだまだ足りないように感じる.省庁は雇用を促したので,民間へも同様の促進の働きかけが必要だ.

東京での生活では,家賃も大きな負担だ.ワンルームでも5万はくだらない.光熱費も含めれば,若者の手取りの半分ほどを占めてしまう.そのため快適な都市生活を行えているとは言い難い.これには社会保障負担の増大などの社会問題とも深く絡んでおり,一概の都市の問題とは言えない.しかしそのためか日本では,自殺者も随一の多さで,改善は急務である.これはハワードの言う都市の復元の難しさに通ずるものがあると思う.

先述訪れたロンドンでは,軒先にしばしばプランターが置かれ花が育てられ,外装もきれいな色調で“インスタ映え”な景観になっていた.田舎では,ドアをペンキで塗る人にも会った.日本においてもそうした余裕や矜持が必要だと思う.

Fig.1の模式図は空間的にコンセプトが示されており面白い.街の中心を主としてオープンスペースを整備するのは,今では少し古いようにも思う.現在では,街並みの何気ないオープンスペースがより求められるようになっていると思う.しかしその前提としては,重要な

マインドだと思う.

一方でライトの考えには同意しかねる部分が多い.すべての国民に均一に土地を与えるのは,平等であり,自由の国の米国としては対象的で面白い施策だとは思う,しかしそこに人が住むとなると,都市は拡散し,近年台頭するコンパクトシティとは逆行する.ある程度機能を分けて集約化した方が,都市生活においても農業・工業など産業においても,効率的で環境にもよいはずである.ただ後半の交通や環境に配慮した街並みを提唱しているのは,同意できる.

全体を通して参考文献が多く示されており,造詣を深めるのに非常に参考になりそうであり面白かった

 

[1] 日本経済新聞「条例で危険地に住まわせない 奈良・京都が開発抑制 さらば災害リスク(下)」https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39396370W8A221C1000000/

参考過去記事

pytho.hatenablog.com

pytho.hatenablog.com 

pytho.hatenablog.com