4/15金曜日、アフターシックスで就業後に乃木坂は国立新美術館の企画展のメトロポリタン美術館展に行ってきた。
これまで訪れた国内の美術展の中において、最も素晴らしく最高の展覧会だった。
そのため折を見て再訪したい。
アフターシックスの国立新美術館
— AOKI Takashige (@aochan_0119) 2022年4月15日
会社からも比較的近いし最高だった
期間中のメトロポリタン展のリピートもありだな🤔
総括
ルネサンスの芸術絶賛期の少し前からを時代範囲として、展示内容に多様性を持たせているのがよかった。
なぜ最も素晴らしいと感じたかといえば、この多様性の対応範囲の広さだ。
どうしても企画展では主題となる国や時代が絞られやすいし、国立西洋美術館は閉まっていて近代美術の主流派な西洋美術の体系的なところが一時的に欠けていた。
また規模の小ささゆえか、ベルトコンベア的な展示が多い。
本展は観覧者の回遊性が担保された配置なのもよかった。
それでありつつ秩序的に章立てのマクロな組み立てはベルトコンベアの一路的な設計だった。
バランス感覚に優れる。
そういえば美術館だと乏しかった方法だが、博物館ではそういうのが多かったなあ。
こうした展示の利点は、まさしく自由に回遊できることだ。
ある意味左派的でアナーキーとも言えるか。
ベルトコンベアは流れが規定される上、人が多ければ滞留がどうしても日本人的に敬遠される。
この美術館趣味の原点が英留学であることは、本ブログでも何度か言及したと思うが、その原点たる海外の美術館の特別展というのも強く影響しただろう。
非ナショナリストというわけではないが、やはり海外の方が全般的に文化的水準が高いのが悔しい。
第一章:信仰とルネサンス
1キリストの磔刑
解説によれば、三次元性の表現の黎明だったらしい。
大きさの遠近感とか、後進からなら課題を指摘できてしまうが、当時の革新性は驚ける。
反対に現代的にそうした課題感を技術的に感じさせつつも、それを超える凄み、神聖さが金地や主題から感じられる。
また塗りがのっぺりマット気味なのも、それはまた面白い。
3聖母子
前時代的雰囲気が強いが、国内の美術館では見かけないからこその希少性の面からの魅力、魔力がある。
平面的でありながら奥行きを感じる。
上記とセットで展覧会の冒頭に設置された、展示設計的な狙いも面白い。
5ゲッセマネの祈り
ラファエロの実物を見たのはおそらく初めてだった。
その名は知りつつも、以降の時代の作者に比べ、個人的に代表作などの知識にもやや乏しかった。
率直に言って唸った。
決して第一印象は派手でも超技巧的にも思えないが、眺めれば眺めるほど奥深さ、味わいがうまれてくる。
それは例えば具体には、地味にディテールがしっかり凝りつつの、主題と外向き構図の相性などが挙げられる。
10聖母子
解説に同意して焼き回しになるが、髪の毛や指の皺の表現が至極繊細だった。
こういうこだわりは、もちろん本人の意識や器用さもあるが、それを生み残す環境としての国、文化、歴史も少なからず、「背景」として絵の中にある意味影を落としているだろう。
12男性の肖像、13ベネディクト・フォン・ヘルテンシュタイン
時代の割に高い写実性に驚いた。
15羊飼いの礼拝
大胆でシンプルな塗りでありつつ、時代の割に緻密な光が表現されている。
このあたりは実は後の印象派に影響を与えたりしたのだろうか。
全体の暗さが中央キリストの明るさ、白さを引き立たせる。
大胆で大きめだからこそ、引きで見ると特にそれを感じる。
これは近くであるいはグラスを覗き込むよりも離れることにより、芸術的価値を増すようにも思える。
14パリスの審判、17ヴィーナスとアドニス
いずれも女の美しさ、特筆して背中の美しさが光る。
非一般的な陶酔気味なフェチか、それとも宗教性との共存の模索か。
そもそもの官能性とは、当時のそもそもの嗜好は、と考えさせられる。
また後者はキューピットの視線が不気味さを助長する。
第二章:絶対主義と啓蒙主義の時代
19クレオパトラの死
多言は避けるが、目の表現が現代の萌え絵の派閥の1つに似ているように感じたのが気になってしまった。
最もコンテクストは異なるのだが。
22男性の肖像
主題や雰囲気も好きすぎる。
かっこいい。
中世のジョニー・デップ的な。
27女占い師
ポスター、チケットにも用いられている本展で知名度を大きく上げたか。
服の鮮やかさが目を引く。
階級の差もあるだろうが、こうした当時の文化を鑑みれば、国内外問わず中世の質素な装束の表現への違和の提示も妥当性が高まる。
大河ドラマ衣装、目がチカチカ? 担当「考証に基づく」:朝日新聞デジタル
解説によれば、昼の光だとか。
俄然、夜の光も気になる。
特にこれは現代の人工光とも異なるだろうし、さらに面白そうだ。
29足の不自由な男を癒やす聖ペテロと聖ヨハネ
構図と色が非常に計算されている。
色相環、一点透視図法、技術的手本か。
31穀物畑、34森の道
西洋の歴史文化の特色か、宗教画、肖像画が多かった中、ようやく風景画があった。
これが冒頭で述べた展示作品の多様性だ。
色味抑えて素朴さが際立つ。
最近のスマホの写真は自然さよりも間接的に映えが意識された鮮やかさが重んじられる雰囲気を感じる。
また撮影後に彩度を上げたり過剰な加工も場合によっては炎上したりしている。
ある意味そこにアンチテーゼも映る。
最も時系列から明らかに作者の意図ではなく、現代の私なりの拡大解釈であるが。
北方雰囲気も漂うが、風車はやはりオランダだろうか。
印象を語るばかりであまり調べていない。。
話が前後するが、風景が自体が当時としては先鋭的だったのだろうか。
入道雲的な雰囲気ながら、夏を感じるが、その活気は抑えめだ。
反対に現代のアニメの雲の表現が、均質化陳腐化しているのかなあとも思案したいり。
32信仰の寓意
フェルメール作だからだろう、混雑していて人気があった。
寓意が珍しいと記載されているが、先の手紙の件など今後もひっくり返される可能性もありそうだ。
これもあまりに作為的で個人的には好きではない。
ノンポリ的志向も影響しているか。
小物の意味づけ、寓意性以前に宗教性が漂っている。
カーテンと姿勢の斜めな構図や、対象の筆致の細かさの書き分けは見事だけに、どこか惜しさを感じてしまう独善とその内省が心に入り交じる。
43二人の姉妹
いかにもフランス的で、こういう判断がつくようになってきたのを自己の審美眼の成長と捉える。
どこがと言われれば難しいが、薄氷的絶対性、白さ、派手さ、儚さ、清楚さ、薄さ、幼さといったところか。
天使の表現が外挿されているのも面白い。
ドレスのメルヘンチックな可愛さも、主題の少女を引き立てる。
マリー・アントワネットの元気さ、奔放さを歴史文化の間接の文脈にて感じる。
ここは鶏と卵的な問題もあるが、類似性は言語表現できない暗黙知的精神的な要素に感じずにはいられない。
ただ左下の人形の顔が不気味なのは、その後の革命を示唆するのか。。
42ヴィーナスの化粧
上述の派手さ豪奢さと裸婦像のエロさがさらに高度だ。
上記と子供と大人の対比も感じられるか。
まさしく絶対主義の絶対性の終着点か。
44ラ・シャトル伯爵夫人
知ってる画家の安定感。
超有名所でないところの中では、最も好きかもしれない。
相対的に派手さが控えめで、質素さ否清楚さ。
ある意味、絶対王政の絶対性の終焉の片鱗を感じられるのは、歴史を外挿しすぎた見方になるだろうか。
47サン・マルコ湾から望むヴェネツィア
長期的には主要交通モードも変化という示唆も現代からは得られる。
紐のカテナリーや帆、風雲の流動性、幾何学的柔らかさが妙技だ。
第三章:革命と人々のための芸術
57ヒナギクを持つ少女
一見ブサイクだが、ふくよかだからこそ筆致に効果抜群か。
光と言えば、白系は膨張色とも言うし、そういう科学、技術的背景が影響しているかもしれない。
一連の流れだからそこ、セザンヌ含む後年もここに映える!
61花咲く果樹園
草原は彼らしいが、木の枝が「浮世絵」的だ。
ただフェルメールと違い、ゴッホの単一だと案外人気がないようだ。
私は好きだが。
59踊り子たち、ピンクと緑
印象派でも一際印象的だった。
65睡蓮
モネの有名連作で、本展の中でもかなりの大型。
浅いが、狂気、ニーチェ的深淵な雰囲気も感じられる。
64ヴィルヌーヴ=ラ=ガレンヌの橋
そういえば北欧やロシア方面はこうした表現があまりなかった気がする。
一般論に回帰するが、北方は文化的にも淋しさがあるように思う。
ロシア文学特有の薄暗さ、仄暗さも同様だろう。
うーん、文化的だ。